こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

Archive for August 2009

ドイツ人作家ベルンハルト・シュリンクの書いた小説「朗読者」を読みました。セックス、愛、戦後ドイツの不名誉などに触れた短くも豊かな物語です。 第81回アカデミー賞でケイト・ウィンスレットが主演女優賞を受賞したことでも話題になりました。

法学生である主人公は、傍聴した裁判で、自分が昔愛した女性が戦時中の罪を問われている姿を目撃することになります。

かつて女性に特別な思いを寄せていた自分から、今はただの傍観者となった自分へ。裁判の間、彼女を見つめる彼は、居心地のよい距離がつかめません。あの若い頃の思いは消えないのに、時間だけが過ぎていったことを悟り、複雑な思いにとらわれるのです。

ナチスドイツのホロコースト(大量虐殺)が背景になっていますが、私自身はそこにあまり重きを置いては読みませんでした。それよりも、苦難の時代を通り過ぎてきた一人の人間の哀しい生き方、そして時代がまた変わった後に生まれた者が、それをどう受け止めたらよいか分からず、自らも哀しみを抱えることになる人間の様子に強く引きつけられました。

読後、静かな哀しみで心がいっぱいになります。それでも、誰かと触れ合っていたいという思いが同時に波のごとく押し寄せてきました。(家出娘)

ベルンハルト・シュリンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルンハルト・シュリンク

「花の都」と言われたパリをより競争力ある魅力的な国際都市に改造しようと、2008年にサルコジ仏大統領が「グラン・パリ計画」を打ち出しました。これを受け、09年4月から11月にかけて建築家らが10の都市改造プランを提案。現在、それらの模型が、エッフェル塔前のシャイヨ宮にある「建築・文化遺産都市」内に展示されています。

「建築・文化遺産都市」は、都市・環境・景観・住宅などについて国民に正しく理解してもらうため、構想から工事まで10数年を費やして、昨年完成した博物館と研究教育の総合施設。博物館には中世から近現代まで、世界建築の粋が集められています。

ここに展示されたグラン・パリ計画関連の開発構想模型は10点。ジャン・ヌーヴェルなど著名な建築家も加わったフランス人のほか、ドイツ人、オランダ人、イギリス人の建築・都市計画家も参加し、しのぎを削っています。

自然と都市環境のバランスを図る持続可能な開発、輸送にかかる時間を短縮する交通網の再編、それによって首都と郊外との連続性を持たせる郊外開発-というのがグラン・パリ計画の主なテーマ。パリ大都市圏の再整備計画であるため、対象になるのは、パリ市民200万人だけでなく、郊外を含めた1500万人の市民です。

政府は、2030年の改造実現に向けて動き出していますが、どのプランが採用されるのかはいまだ不明で、パリっ子たちをやきもきさせています。(くるみ)

在日フランス大使館
http://www.ambafrance-jp.org/article.php3?id_article=3496

フランスの美術館・博物館情報
http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0801/special01.html

オランダについて、すぐに思い出されるのは、海より低い国、堤防がいったん崩れたら大半は海水の浸かってしまうだろうということだ。これは、小学校時代に教科書に載っていたハンス少年の話が大きく影響している。

ハンスは、お使いの帰りに堤防から水が漏れているのを発見、しかもその穴が徐々に大きくなっているのに気づいた。日ごろ、両親から堤防の大事さを教えられていたハンスは、なんとかこの事態を大人に伝えなければと思うが、近くに人はいない。思いきって穴に手を突っ込んで出水を防いだ。

しかし、ずっと人は通らず、ハンス少年は冷たい水にさらされたまま失神。翌朝やっと村人が通って発見され、その勇気ある行為が称賛される。この話は、万人のために自己犠牲する必要性や愛国心を訴えたもので、私はそれにも感動したが、同時にオランダの歴史を調べ、この国家がいかに海水と闘い、陸地の低さを克服してきたかという奮闘ぶりにも驚かされた。

われわれがオランダの特徴的風景としてすぐに思い浮かべるのは風車とチューリップ。このうち風車は他国のように脱穀などの農作業に使うのでなく、ましてや観光目的のためなどに造られたのでもない。実は、排水施設の一環なのだ。

今では、ポンプがあって水位の低いところから高いところへ、水を汲み上げるのは容易なことだが、昔は自然の力に頼らなければならない。風を動力にして低位から高位に水を上げ、しかも何台の風車を連携して水をかなり高い水路に排除するのだ。それを怠れば、低い陸地は雨で水がたまり、たちまち湖と化してしまう。

オランダでは、中世からある「ワーテルスハップ」、治水委員会という組織に地方自治体と同等の大きな権限が与えられているとか。これも、ハンスに限らず、同国人一人ひとりが治水の必要性を強く実感している証左であろう。(日暮らし)

ミツカン水の文化センター
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_19/no19_c01.html
日本(語)のオランダ
http://homepage3.nifty.com/hiway/holland/jword/watersch.htm
月刊誌『ニューモラル』
http://www.moralogy.jp/moralogy/cocoro/nm/nm092_01.html

イギリスと言えば、「パブ」を連想するくらい、パブは中世からの長い歴史がある文化です。そのパブが今、続々と閉店を余儀なくされています。

英国ビール・パブ協会(British Beer and Pub Association)が7月22日に発表したニュースによると、今年上半期、イギリスで1週間に平均52店のパブが閉店。1980年に約6万9000店あったパブは、現在5万3466店まで減少。この1年間で2377店も閉店し、2万4000人の店員やバーテンダーが失業してしまったそうです。

その背景には、若者を中心としたビール離れや、パブ離れがあるそうです。日本でも若い人のお酒を飲む量が以前と比べて減ったり、会社帰りに一杯ひっかけることも少なくなってきたので、イギリスと日本で同じ現象が起こっているのですね。

昨年の世界的な金融危機をきっかけに景気が悪くなり、客足が遠のいたことがパブ減少の大きな原因。加えて、イギリス政府が財源確保のために、2008年からビールの酒税を引き上げたことも影響しました。

BBPAのデヴィッド・ロング氏は「パブの閉鎖は、コミュニティーがなくなるだけでなく、イギリスの宝が失われるようなものだ」と言っています。15年ほど前に初めてイギリスに母と二人、旅行で訪れたとき、わくわくしながらパブを訪れました。パイ生地にひき肉を包んだ料理を食べたことが今でも鮮明な記憶として残っています。予想以上に美味しく、二人できれいに平らげたからです。(モコちゃん)

英国ビール・パブ協会(British Beer and Pub Association)
http://www.beerandpub.com/(English only)

ベルリンの壁崩壊から20年、またポーランド侵攻から70年を迎える今年、ベルリンにあるドイツ歴史博物館では、これらの出来事を振り返る2つの展覧会が開催されている。残念ながら実際に見る機会はなかったが、内容を簡単に紹介したい。

展覧会「ドイツ人とポーランド人1.9.39――絶望と希望」では、1939年9月1日のポーランド侵攻前後から冷戦終結までのドイツ・ポーランド関係を、写真、ポスター、品物などを展示してたどっている。ドイツが行った残虐行為についても史実が淡々と語られ、当時のポーランド、ドイツ双方の一般的な国民感情がどのようなものであったかについても紹介されている。

同じく写真展「1989:時代の曲がり角」でも、1989年から1990年にかけて写真が捉えた歴史の一部を紹介している。興味深いのは、第4部で西側の写真家が、それまであまり知られることのなかった旧東ドイツに関心を持ったことで、自然環境の破壊が芸術作品を通して明らかになっていったことだ。

初めてベルリンを訪れたのは1999年だ。確か新国立美術館(Neue Nationalgalerie)で、現代ドイツ人アーティストによる展覧会が行われていた。歴史の負の遺産をテーマにした作品に、戦争が過去のものではなく、今日の人たちも重責として背負っていることに衝撃を受けたのを思い出した。同じように今年2009年も、彼らは変わることのない過去について考え続けている。

この夏ベルリンで、友人のお母さんから、20年が経ってもドイツは統一からまだ遠いところにいる、との話を聞いた。彼女は、100年の年月が必要でしょう、と話していた。(みかん)

展覧会「ドイツ人とポーランド人1.9.39――絶望と希望」(英語)
2009年5月28日~9月6日
http://www.dhm.de/ausstellungen/deutsche-polen/en/index.html

写真展「1989:時代の曲がり角」(英語)
2009年5月30日~8月30日
http://www.dhm.de/ausstellungen/1989/en/index.html

日本生まれのイギリス人作家、カズオ・イシグロの初の短編集『夜想曲集』が日本で翻訳出版され、話題を呼んでいます。

カズオ・イシグロは1954年に長崎で生まれ、5歳のときに海洋学者の父親の仕事の関係でイギリスに渡りました。以降、日英両国の文化を背景にして育ち、イギリスの大学で英文学と文芸創作を学びました。

卒業後、初めはロック・ミュージシャンを目指していましたが、1981年から作家活動に入ります。長編第3作目の『日の名残り』(1989)で、イギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞。国境を越えた普遍的な文学性により、イギリスのみならず世界中から注目されています。

短編集『夜想曲集』には、「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」という副題の通り、様々な音楽家を主人公とした5つの短編が収録されています。売れないのは顔のせいだとハリウッドで整形手術をするサックス奏者(「協奏曲」)、ベネチアでゴンドラ舟に乗って妻にセレナーデを捧げる老歌手とそれを伴奏するギタリスト(「老歌手」)、などが主人公。

誰も音楽の世界で成功しているとは言えませんが、主人公に共通しているのは音楽への深い愛情です。この短編集を読めば、あなたもきっとカズオ・イシグロのファンになるでしょう。(青山コモンズ)

カズオ・イシグロ『夜想曲集』ハヤカワ・オンライン
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/118116.html

たそがれの愛・夢描く 英国人作家、カズオ・イシグロさん(朝日新聞)
http://book.asahi.com/clip/TKY200907200066.html

今週の本棚:『夜想曲集』=カズオ・イシグロ著(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20090726ddm015070003000c.html

正午のポズナン旧市庁舎時計台

正午のポズナン旧市庁舎時計台

ポーランド第5の都市ポズナンは、昨年COP14の会議開催地となったが、案外知られていない。実は、私がベルリンに滞在していたとき、一番近く列車で旅行できる東欧の観光地がここだった。3時間の旅で、言葉も街並みも食文化も変わる。ヨーロッパ大陸の面白いところだ。

ポズナンは、ポーランドの他の都市と同様、複数の国に支配された歴史がある。18世紀初頭、北方戦争で荒廃した村々の復興のために市が招致して、ドイツ・バイエルン州のバンベルグから貧しいカトリック農民たちが移住してきた。

彼らは地域社会に溶け込んでポーランドを愛する市民となり、その後プロシア軍がドイツ化しようと侵攻してきたときにも激しく抵抗した。ポズナンの繁栄に重要な役割を果たしたこのバンベルグの移民を称え、両手に水桶を持った「バンベルグの娘」の像が旧市庁舎広場に建てられている。

その旧市庁舎広場には、毎日正午になると多くの人が集まってくる。それは、鐘の音とともに旧市庁舎の時計台から2匹のヤギが顔を出すからだ。この仕掛け時計にも言い伝えがある。

時計台は1511年のポズナン州知事のお披露目に合わせて公開された。このとき、祝宴を準備していた料理人はうっかり鹿肉を焦がしてしまい、慌てて代わりの食材にしようとヤギを2匹盗んだのだが、ヤギは市庁舎の時計台に逃げ込んだ。招待客は棚に頭をぶつけたヤギを面白がって見ていた。

州知事はこの騒ぎを喜び、その後時計台に機械仕掛けのヤギ2匹を取り付ける気まぐれな令を出したという。料理人がどうなったのかは謎だが、鞭打ちの刑を受けたという話もあるそうだ。(みかん。写真も)

バンベルガの名のつくホテル Zagroda Bamberska
http://www.zagrodabamberska.pl/ (英語ほか)

2匹のヤギのポーランド伝統料理レストラン Pod Koziolkami
http://www.podkoziolkami.pl/ (英、独、ポーランド語)

ポズナンの街ガイド(英語)
http://www.inyourpocket.com/poland/city/poznan.html


自由で活発な発言を歓迎します。

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