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ベルリン ――東西が別々に発展してきた都市 The Two Faces of Berlin’s Development

Posted on: 2009/12/01

40年以上東西を分断してきた壁が崩壊して20年。ベルリンという都市は、市街地を分断されるという特殊な事情を経て発展してきた。日独の建築家と都市計画担当者が集まったシンポジウムでは、ベルリンの変遷と21世紀のあり方について様々な意見が交換された。

第2次世界大戦でベルリンは空襲を受け、産業、知識層、西側のユダヤ人や東側のキリスト教徒、彼らの文化やアイデンティティを感じさせるものを全て失った。戦後復興でも、西側は個人主義を背景に、個別住宅のアメリカ型を目指したのに対し、東側は共産党体制下での集団主義をベースに、集合住宅が建てられるソ連式であった。東ベルリンのモデルネと呼ばれる近代建築は、未来の実験台とも言え、注目されたが、しょせん一時的なものであった。

冷戦下の東西ベルリンは1950年代から開発を競い合う。だが、70年代になると、戦後の30年間の開発が果たして正しかったのかなどと批判的に歴史を見直す動きが始まり、1980年代後半に都市開発計画の国際コンペが開かれることになった。

このコンペで採用されたのは、斬新なメトロポリス(未来都市)計画ではなく、欧州都市の伝統を取り戻す保守回帰的なヒルマーとザトラーの案であった。部分的には日本の磯崎新氏を始め、世界的に有名な建築家も参加した。磯崎氏の案が取り入れられたのは、欧州都市についてのイメージを現代風に甦らせたからである。

磯崎氏の説明では、19世紀までに発展した欧州都市は、中庭があること、建物の高さが抑えられていること、ファサード(正面の外観)が街の景観(顔)を作っていること、が特徴として挙げられる。20世紀の都市として中庭の中に公共の施設をつくるなど、古い町の構造に新しい要素を取り入れて近代的な風格を醸し出した、新しい形で伝統を復活させていくことを「ネオコン」と彼は呼んでいる。

20年にわたってベルリンの復興開発に携わってきたハンス・シュティマン氏は、「この都市は歴史と時代の進展がうまく融合した形となっている」と述べ、グローバル化された今日、ベルリンのアイデンティティを鮮明にし、世界各地から訪れたいと思わせられる独自の魅力を作り出していきたい、と締めくくった。(みかん)

ベルリン日独センター主催シンポジウム
「壁崩壊後のベルリン ――<ヨーロッパの都市>としての伝統を守る首都への回帰」
2009年10月27日(火) ドイツ文化会館ホール
http://www.jdzb.de/images/stories/documents/j1284_program_jap.pdf

ベルリンの代表的な建築についてまとめてあるサイトを発見↓(神戸大学平山研究室)
http://www.edu.kobe-u.ac.jp/hudev-hiraken/contents/album/modern/Germany.htm

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