こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

Archive for February 2010

オーストラリアの首都ウィーン。この街にとって、カフェは欠かせない存在だ。

歴史は古く17世紀頃に出現したといわれる。市民たちは昔から、カフェでコーヒーを飲みながらさまざまな時間を過ごしてきた。新聞や本を読んだり、友人と議論したり、恋人と語り合ったり、手紙を書いたり…。その空間には常に香り深いコーヒーと、ゆらゆら立ち上がる煙草の煙があった。しかし、近年、このウィーンのカフェのシーンが変わりつつある。

というのもオーストリア政府が禁煙・分煙制度を導入したからだ。昨年1月に施行されたたばこ法で、カフェやレストランなどの飲食店に禁煙室の設置が義務付けられた。床面積50㎡以上の店は、今年6月末までに煙を遮断する壁や換気装置を設置しなければならない。

ウィーンの街中には歴史ある重厚な建物が並んでいる。伝統的なカフェは、そんな古くからある建物の中に入っており、天井も高く、床面積も広いものが多い。なので、改装費には多大な金額がかかるため、やむなく一時閉店するカフェも出始めた。いつかウィーンへ旅をしたら、300年以上オーストリア市民の生活に根付き続いてきたカフェでぜひウィンナーコーヒーをじっくり味わってみたいのだが、そのときまで伝統的カフェは残っていてくれるのだろうか。(エコ太郎)

ウィーンのカフェの全面禁煙の記事
http://www.ab-road.net/europe/austria/vienna/guide/03017.html

ウィーンのカフェの利用方法
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9491/caff/top/caff.html

ウィーン観光サイト
http://www.wien.info/ja

「アルハンブラの思い出」というクラシック・ギターの名曲がある。その曲名を聞いただけで、思わずトレモロを伴ったメロディーが頭の中をよぎるのは、それだけ印象深いからであろう。アルハンブラとはもちろんスペインのグラナダにある宮殿のことだが、いったい「思い出」というのは、どんな意味があるのだろうか。

イベリア半島南部アンダルシア地方は、8世紀から15世紀にかけてイスラム人によって支配され、アルハンブラ宮殿は13、14世紀、グラナダを都としたナスル王朝の時代に造られた。小高い丘の上にある宮殿の名は、アラビア語の「アル・ハムラー(赤いもの)」に由来し、赤い城砦を意味するという。
その名の通り全体的に褐色かかった宮殿は、夜間にライトアップされると、ヨーロッパで普通に見られる城砦とはまた一味違った、幻想的な雰囲気をかもし出す。私も深夜に、対岸の丘に浮き上がった宮殿を見たとき、旅の疲れが吹き飛んだ。

キリスト教徒の逆襲であるレコンキスタで、イスラム教徒がイベリア半島から駆逐されると、この建物にもヨーロッパ風の手が加わる。モスクは教会に変わり、礼拝堂や修道院も新たに造られた。このため、アルハンブラ宮殿が一段と魅力的なのは、ヨーロッパ調とアラビア風という異文化の融合にあるからかも知れない。

「アルハンブラの思い出」を作曲したフランシスコ・タレガは19世紀後半の人だから、もちろん魅せられたのはライトアップされた風景などではない。実は、宮殿内パティオ(中庭)にあるライオンの噴水を気に止めたようだ。溢れ出る水を見て、彼はトレモロをイメージし、作曲への意欲をかき立てたといわれる。

では、タレガが言う思い出とは何だろう。これに対する明確な答えはない。察するに、「思い出」というよりむしろ「思い」ではなかろうか。宮殿、その周辺風景の美しさのみならず、この宮殿が持つ歴史的な重みなどすべてに感動して、すばらしいメロディーに「思い出」と名付けたに違いない。(日暮らし)
 

http://www.suerton.com/essay/essey%20no.2/no2-2.html

北欧の家具やインテリアと言えば、機能的でありながら、カラフルで温かみのあるデザインが特徴で、日本でも注目を浴びています。その中でも、フィンランドのヘルシンキを拠点に活動している若手デザイナーの新留直人(にいどめ・なおと)氏は、フィンランドデザインにまつわる賞を受賞し、最近では日本での活躍も目立っています。

新留氏はフィンランド人の母と日本人の父を持ち、1974年にヘルシンキで生まれ、幼少期を鹿児島で過ごしました。ヘルシンキ芸術デザイン大学で、インテリア建築・家具デザインを専攻しました。

そんな新留氏が日本で新しいブランド「アルティーローブ& HELMI」を発表しました。HELMIとはフィンランド語で真珠のことで、HELMIの商品は、マグカップやお皿、コースター、Tシャツ、ベッドやクッションカバーなども含まれます。

商品のイラストになっているHELMIボーイは、新留氏の創作。真珠を持ち歩くHELMIボーイは、生まれ育ったヘルシンキを旅立ち、日本にたどり着くというストーリーで、まさに彼自身の人生の一部でもあります。

日本のアニメにヒントを得たというボーイのキャラクターは、日本の女性たちの支持を集めそうです。(モコちゃん)

フィンランド大使館ニュース
http://www.finland.or.jp/Public/default.aspx?contentid=171680&culture=ja-JP

フェラーリがとうとうハイブリッド車を作った!-。同社のモデル「599」のハイブリッド版で、排気量6リットルのエンジンにモーターを組み合わせ、35%の低燃費化が可能だという。3月のジュネーブ国際自動車ショーで発表される。

トヨタとホンダがF1レースから撤退したのは、ガソリンエンジンを進化させるノウハウを得る必要が今後なくなるからというのが主な理由らしいが、そうしたエコカーの波がF1の雄、フェラーリにまで押し寄せてきたということなのだろう。

フェラーリというと、思い出す美術展がある。2002年に東京都現代美術館で開催された「疾走するアート」展だ。スポーツカーを現代彫刻として捉えるというコンセプトで、ホワイトキューブに世界で最も美しいクルマたちが展示されていた。この美術展で、特にフェラーリの360モデナ・バルケッタ・モンテゼーモロが印象に残った。フィアットの会長が、フェラーリの会長へ結婚祝いとして贈ったもので、世界で1台しかない名車だ。本当に息を呑むほどに美しかった。

エコロジーという時代の空気を吸い込みながら、フェラーリはこれからどんな美しいクルマを僕たちに届けてくれるのだろうか?(ロニ蔵)

http://autos.yahoo.co.jp/ncar/catalog/model/FE/S031/

髪に風 何年たっても風はある 残念ながら髪はない―。

これは、あるベルギー人の俳句を、読売新聞の記者が翻訳したもので、1月11日に同紙に掲載された。実は、この俳句を作ったのは、新しいEU大統領となったヘルマン・ファンロンパイさん! 「ハイク・ヘルマン」と呼ばれ、大の俳句好きとして有名だとか。現在、日欧で句集を出版する構想も浮上しているというから、本格的だ。

さらに、この記事ではこんな句も紹介されていた。

ハエが飛ぶ、うなる、回る、部屋をさまよう、誰にも害は与えない―。

いい俳句を作るのには、まず観察眼とユーモアは欠かせない。俳人ヘルマンは、そういった意味でもかなりいい線をいっている。五月蠅いといって煙たがられるハエをテーマにするなんてなんと心憎い。それに、大した被害は与えないんだからっていう泰然としたところも俳聖となる素質を感じさせる。時代の先を読む鋭い観察眼と、みんなを和ませるユーモア感覚で、新生EUの舵取りをお願いしたい!(ロニ蔵)

今年で61回目を迎える北海道の冬の風物詩「さっぽろ雪まつり」。大小あわせて249基の雪氷像が展示され、期間中約200万人が訪れる予定です。

今年の目玉のひとつは、高さ26メートルもあるドイツ・ドレスデンのフラウエン教会の大雪像で、雪まつり史上最高の高さと言われています。そのほか、全国的にも有名になった旭山動物園と円山動物園の人気者、ホッキョクグマやヒョウの雪像も「北の動物園」というタイトルで展示され、生き生きとした表情を見せています。昨年亡くなったマイケル・ジャクソンの雪像も目を引く力作です。

さて、この雪まつりには、1974年から海外チーム制作の雪像も出品されており、国際色豊かなお祭りになってきました。EU諸国からも今回、数カ国が参加しました。26回目の出場を誇るスウェーデンの作品名は「おばあちゃんの人形箱」。お父さんと息子さんの二人が制作した、かわいらしい子供の雪像が印象的です。初出場のポーランドは、ショパンがピアノを弾いている姿を表現した雪像を出品しましたが、今年はショパン生誕200年の記念の年でもあります。オランダは今年初出場で、作品名は「贈り物」。雪を「溶けてゆく贈り物」と見なし、私たちが直面している不安な状況を表現し、国境を越えた結束力が必要であることをメッセージとして発信しています。

出場20回目のフィンランドの作品タイトルは、「サウナとSISUとシベリウス」。SISUとはフィンランド人の国民性を表す言葉で、粘り強く妥協しない意志を表すそうです。まさに、この3つの言葉はフィンランドを象徴するものであると言えましょう。(モコちゃん)

さっぽろ雪まつり
http://www.snowfes.com/index.html

ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の映画「地下水道」は、ナチスドイツの占領下に立ち上がったパルチザンの悲劇を描いた作品だ。暗闇の下水道の中を逃げ惑う彼らが、最後に探し出した川に繋がる出口は鉄条網で封鎖されており、未来への絶望感を感じさせるそのワンシーンは、数十年たった今でも鮮烈な記憶として残っている。そのワイダ監督が「カティンの森」という最新作を発表した。

1939年、ポーランドはドイツとソ連の両方向から侵略され、ポーランド軍はソ連軍よって武装解除させられる。同軍将兵一万人以上はソ連領内に連行され、翌年、スモレンスク郊外カティンの森で秘密裏に殺害されたのだ。スターリンの命によるもので、将来、彼ら将兵がソ連のポーランド占領の障りになることを恐れた措置だった。

実は、殺害された将校の中に、ワイダ監督の実父も入っていた。つまり、カティンの悲劇を再現したこの映画は、監督自身の体験が色濃く織り込まれている。ワイダ氏は、あるインタビューで、「母親は、父親との別れの時に、金属製のお守りを手渡していた。ずっとその死を知らずに帰りを待っていた」と、生々しい記憶を語った。

皮肉にも、ドイツのソ連侵攻により、両国の不可侵条約は反古にされ、カティンの虐殺はナチスの手によって暴かれた。しかし、ドイツを倒して、戦後ポーランドを属国化したソ連は虐殺の事実を認めようとせず、共産政権になったポーランド指導部も「この事件はナチスによるもの」として、取り合わなかった。

ソ連崩壊後の1992年にロシア政府は、カティンの森に限らず、ポーランド将兵2万2000人弱を数か所で虐殺したことを正式に認めた。ワイダ監督は、「ソ連がやったことを早くから知っていた。ただ、(ソ連の衛星国であったために)40年間、映画で取り上げることはできなかった。権力によって事実が曲げられるようでは、自滅の道をたどるしかない」と、むしろ事実を明らかにできなかった自国の過去を嘆いた。人間の尊厳を追及したワイダ氏の集大成と言うべき映画だ。(日暮らし)

http://www.k4.dion.ne.jp/~skipio/21essay2/Katin-Waida.htm
http://eiga.com/buzz/20091204/25/


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