こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

Archive for January 2011

フリーペーパー、ショップカード、神楽坂の地図

横浜の中華街、新大久保のコリアンタウン、そして今や、神楽坂と言えば“リトルフランス”です。

通りを歩けば、蕎麦粉のガレットとシードルの美味しいカフェ、ワインと料理が評判のビストロ、キッシュやテリーヌなどが並ぶフレンチ惣菜店、パティスリーやブーランジェリーなどが街のそこかしこにあり、フランスの食文化が楽しめます。

時より聞こえてくるフランス語や、パリの石畳の小路を思わせるような路地がフランスらしさをさらに醸し出しています。

神楽坂は、未だ日本情緒を感じさせる歴史のある街です。パリに代表されるフランスの街も同じく風情と歴史があります。双方の持つ魅力ある雰囲気が共鳴し合って、お互いを壊すことなくうまく融和しているようです。

居心地の良い時間と空間が神楽坂にあります。街の雰囲気を楽しみながら散歩したり、店に置かれたフランス情報満載のフリーペーパーを読みながら食事したり、ちょっとしたフランス旅行気分を是非味わってみて下さい。Bon Voyage!(ぱんジェンヌ)

日本橋馬喰町にある松野商店

日本と英国に、さりげない日常雑貨を求めて国内外を探し歩くユニークなショップがある。日本側は、東京は馬喰町に店を構える荒物雑貨問屋の松野屋。使い勝手のいい暮らしの道具を販売する老舗だ。イギリス側は、ロンドンはチェルシー地区にあるレイバー・アンド・ウェイト(L&W)。イギリスのみならず、ヨーロッパ中の生活雑貨を集めたセレクトショップだ。それぞれのオーナーの目指すところは、「自分たちが実際に使いたいもの」を集めて売ることだ。

日英それぞれのショップに並べられているのは、生活の必然性から生まれた道具であって、いわゆるデザイン雑貨ではない。例えば、松野屋で扱う商品は、町工場や農村で職人たちが一ひとつ手作りでつくった素朴な日用品だ。真竹と籐で編まれた「蕎麦揚げざる」とか、トタン製の「米びつ」などで、いわゆる1点ものの美術工芸品とは異なる。

 「僕にとって使い勝手がいい道具というのは、柳宗悦の民藝運動で生み出されたようなものではなく、手工業による中量生産品です」と松野屋の三代目社長である松野弘さんは言う。「高価なデザイン雑貨や芸術性の高い民藝作家の生活雑器を普段づかいで使える人は限られています。僕が求めているのは、身の回りに置いて実際に使ってみることで、何だか生活が楽しくなってしまうようなモノたちなんです」

 小さな町工場で作られた道具はそのまま都市生活者の空間にもってきても馴染まないと、松野さんは言う。そこで松野さんは、そうした素朴なモノたちに少しだけ手を加えることを考えた。例えば、栃木県で生産されている「座敷ぼうき」。部屋をちょっと掃く時に重宝するが、ほうき草を束ねる糸に赤やピンクといった蛍光色が何色も使われていて、ちょっとチープな感じだった。そこで、松野さんは束ねる糸を黒と赤に統一。それだけで、モダンな印象のほうきに生まれ変わり、お洒落な雰囲気になった。

 松野さんは、日本各地からこうしたスグレモノを探し出し、次々に救済していった。米びつ職人に依頼して作ってもらったトタン製のゴミ箱やCDケースなどはその良い例だろう。「米びつ」にネームケースを付ける工夫を施すだけで、スタイリッシュな収納ケースに蘇生させることができるのである。こうした取り組みをやっているのは自分だけだろうと松野さんは思っていたのだが、ロンドンでも同じようなことをやっているショップがあることを日本の雑誌の記事で知った。その時は、何だか面白そうだなと思っただけだったが、あるセレクトショップを介してこのショップを紹介された。それがL&Wだった。

ロンドンのチェルシー地区にあるL&W

 

昨年3月に松野屋を訪れたL&Wのオーナーであるサイモン・ワトキンスさんとレイチェル・ワーズ・モーランさんは、松野さんとすっかり意気投合してしまった。「無名のデザイン」を集めた日用品の展示会を開くことになったのもごく自然な成り行きだった。昨年10月に開催された、日英の生活雑貨たちが一堂に会した展示会(東京)では、来場者たちは共通する部分がいかに多いかを知ってみんな驚いていたという。

松野さんは、この展示会に集まったモノたちのことを、「民衆的手工芸品」ではなく、「民衆的手工業品」と呼ぶ。「自然食品」があるなら、「自然商品」があってもいいじゃないかというのが松野さんの考え方だ。シンプルで美しく、それでいて機能的な生活雑貨たちには、私たちの生活を見直す上でのヒントがぎっしり詰まっている。(ロニ蔵)

 バルセロナにいたときのお話。といっても、1988年、バルセロナオリンピックを4年後に控えていた頃の話だ。オリンピックは街を変える。バルセロナも例外ではない。当時、バルセロナに暮らす人たちは、街が“変わる”という期待と、“変わってしまう”という不安の両方を感じていたように思う。ガウディをこよなく愛する学生と出会い、ガウディの建築物を案内してもらったが、彼も期待と不安を口にしていた。グエル公園を散策した後、街角のバールに立ち寄ったとき、「それでもこの味は変わらない」と彼が注文したのが「パン・コン・トマテ」だった。出てきた皿には、軽くトーストしたカタルーニャ独特の田舎風パンに、ニンニクやトマト、塩、オリーブオイルが添えられていた。彼はトーストにニンニクをすり込み、トマトをすり込み、塩とオリーブオイルをかけた。見様見真似で、彼と同じように調理(?)し、赤く染まったパンを口にしてみる……ニンニクの香りとトマトの甘酸っぱい味わいが口に広がり、驚くほど旨かった! スパークリングワイン・カバにもよく合う。

「旨い」を連発したのがよほどうれしかったのか、彼は「この味はカタルーニャ人の誇りだ」と熱く語り出した。スペインがモザイク国家と呼ばれ、カタルーニャ地方やバスク地方、カスティーリャ地方などが、それぞれ独自の言語や文化を守り続けていること、ワールドカップのスペイン代表も自分の地方の代表が選ばれていなければ応援もしないことなども、恥ずかしながら彼の言葉で初めて知った。スペイン代表チームがワールドカップで優勝できないように、バルセロナオリンピックでもスペインがひとつにまとまるとは思えないと言う。「オリンピックが開催されても、バルセロナの良さを失いたくない」、そう言いながら、彼はニヤリと笑った。「でも大丈夫。パン・コン・トマテの味だって、ずっとこのままさ」

 あれから、20年以上が過ぎた。東京でもスペイン料理、しかも美味しいパン・コン・トマテを味わえる店が増えてきた。昨年のワールドカップでは、スペイン代表がついに初優勝を果たした。

 彼は、今頃、どうしているのだろうか。きっと、サグラダ・ファミリアの建設を見守りながら、パン・コン・トマテを食べているに違いない。(酒バラ)

在バルセロナ日本国総領事館がカタルーニャ料理を紹介しているHP
http://www.barcelona.es.emb-japan.go.jp/japones/kankou_tabemono.htm

EU加盟国27か国の中で国王のいる国は幾つあるかご存知だろうか。
実は、国王(女王)がいる国は意外に少なく、ベルギー、デンマーク、オランダ、スペイン、スウェーデンと英国の6か国だけである。一口に王室と言っても成り立ちはそれぞれ異なり、たとえばオランダでは独立戦争の際に諸侯の中で最も信望のあったオレンジ家が国王となり、ベルギーの場合は周囲の列強のおもわくで、ドイツから招かれたザクセン・コブルク家がベルギー王室となった。

上記の各国の王は実質的な政治上の権力はもたない(立憲君主制)。にもかかわらず、ベルギーのアルベール2世国王は、ここ3年間、政治のせいで気の休まらない状況にある。2007年春に行われた総選挙後の組閣交渉(複数の政党間で連立政権を発足するための交渉)が194日間まとまらず、その年の夏、国王は、交渉の頓挫を理由に辞意を表明した組閣担当者(現ベルギー首相)に対し「続けたまえ」と促した。その翌08年秋には、司法介入疑惑の渦中にあった首相から「やめたい」と言われ、「まあ待て」となだめた。そして、昨年6月の前倒し選挙後の組閣交渉がまたしても長引き(二百日を超え、最長記録を更新)、先日、組閣の調停役の元オランダ語系社会党党首から「やめたい」と言われ、これを慰留している。

アルベール2世国王は76歳と高齢であり健康上の不安も抱えているが、ベルギーの政治安定に向けて是非とも頑張ってもらいたいものだ。(じょぎんぐまん)

ベルギー王室
http://www.monarchie.be/en
ベルギー連邦ポータルサイト
http://www.belgium.be/en/
いずれも英語版で、オランダ語・仏語・独語版(ベルギーの公用語3か国語)もある。

中国からつがいのパンダの「甜甜」(Tiantian)と「陽光」(Yangguang)が今年秋にも英エジンバラ動物園に貸与されることが決まり、全国が喜びに包まれている。英国にパンダが来るのは17年ぶり。貸与を巡りこれまで5年、両国が話し合いを続けてきた。英国内ではロンドンとエジンバラが争奪戦を演じたが、保護と飼育の環境が優れているとしてスコットランドに軍配が上がった。10年間貸し出され、この間に生まれた子供は両親に先立ち直ちに帰国する。

 2頭の貸与は、次期中国首相に確定したといわれる李克強(Likeqiang)・副首相の訪英に合わせたもの。この間、両国は総額40億米ドルという超大型の商談契約も結んだ。英紙は「一般英国民から見れば、巨額な商談成立というまばゆい光を、パンダがすっかりさえぎってしまった」と書いた。次期首相の完敗に「パンダ外交」の是非が中国でも議論になっているという。(しおせんべい)

http://forex.38cf.com/shtml/20110111/879596.shtml

http://news.boxun.com/news/gb/intl/2011/01/201101130044.shtml

2010年は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の生誕160年、来日120年にあたり、これを記念して、各地で様々な催しが行われた。それらの最後を飾る形で、12月19日、早稲田大学の大隈講堂で公開シンポジウム「小泉八雲と早稲田大学」が開催された。

1850年にアイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた八雲は、1890年(明治23年)4月に来日した。松江と熊本の中学校英語教師、英字新聞「神戸クロニクル」記者、帝国大学(東京帝国大学)英文学講師を務めた後、その生涯を終えることになる1904年(明治37年)に早稲田大学に迎えられた。早稲田には同年3月からこの世を去る9月までの6カ月あまりしか在籍しなかったため、早稲田大学における八雲の業績はあまり注目されてこなかった。しかし、講義は33回、66時間を数えるに過ぎないとはいえ、講義に出席した会津八一や小川未明など早稲田派の文人や作家に大きな影響を与えたという。

早稲田大学でのシンポジウムでは、文学者、教育者、地球市民(cosmopolitan)という八雲の3つの側面に焦点を当て、八雲が早稲田大学の人々に残した影響や、今、私たちが八雲から何を学ぶかについて論じられた。このブログではこれから何回かに分けて、シンポジウムの内容を中心に、小泉八雲について取り上げていきたい。

今春の4月29日、英国プリンセスとなるケイト・ミドルトン嬢は、ウィリアム王子との婚約発表のあと、イギリスのデパート「Peter Johns」(John Lewisのチェルシー店の名前)のバーゲンに通っていると報道された。

そういえば、婚約発表のとき着ていた「Issa London」のドレスも日本円で約7万円と、かなり王室にしては庶民的かもしれない。発表直後、価格を落としたサブラインが同ブランドから発売されるなどと人気だ。彼女はもともと高級ブランド志向よりもハイストリート派だそうだ。「JIGSAW」アクセサリーバイヤーとして働いていた経歴もある。

リーマンショックで英国王室も少なからず資産に損害がでたという。エリザベス女王がご自身の洋服をリメイクして話題になったこともある。今回の婚約発表にはなにか倹約というイメージが漂っている。

John Lewisは、センスのよい品揃えで、女性客の心を掴んでいるデパートである。ミドルトン嬢は、長年の顧客だそうで、ウィリアム王子と結婚後も通うつもりと公言しているという。
このデパートが「英国王室御用達ブランド」となる日も近いだろう。(ケリー)


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