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Archive for the ‘Anniversary’ Category

7月21日はベルギー国民の祝賀日である。今から180年前の1831年、ベルギー初代国王レオポルド一世が出来たてホヤホヤのベルギー国憲法の下で就任宣誓を行った。毎年この日には軍事パレードが行われ、盛大に祝われる。

この前日にはベルギー国王アルベール二世による毎年恒例のテレビ演説が行われる。しかし、今年の国王の演説はいつもと明らかに違った。
「この祝賀日に皆さんと新しい内閣(閣僚)の就任宣誓が聞けることを楽しみにしていた。残念ながら(組閣交渉は)まだ全然進んでいない。嘆かわしいことだ」と厳しい口調で述べたかと思うと、「政治家たちは妥協をしなきゃダメだ!」と1年以上も組閣交渉に手間取っている彼らに喝を入れた。

地元メディアは「国王は怒っている!」と驚き、隣国オランダでもこの様子がメディアで大きく取り上げられた。ベルギーでは昨年6月の総選挙の結果を反映した新内閣がいまだに誕生せず、内閣不在期間はついに400日を超えた。地元の識者によれば、公の場で国王がここまで怒ったのは初めてとのことだ。

新内閣が誕生しないのは言うまでもなく、主要政党間の組閣交渉が難航しているからである。その最大の原因はオランダ語話者(国民の約6割)、フランス語話者(同約4割)から構成されるベルギー(注)の抱える言語対立にあるのだが、それについては機会を見つけて書きたい。(じょぎんぐまん)

(注)ベルギー東部にドイツ語話者約7万人(フランス語とバイリンガル)が住んでいる。ベルギーの公用語はオランダ語、フランス語、ドイツ語。

関連記事
(1)ベルギー・オランダ語公営放送(VRT)ニュース
http://www.deredactie.be/cm/vrtnieuws/binnenland/110720_toespraak_koning

(2)ベルギー・フランス語公営放送(RTBF)ニュース
http://www.rtbf.be/info/belgique/detail_21-juillet-le-roi-hausse-le-ton?id=6481543

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7月14日はフランスの「Fête nationale」(フェット・ナショナル)。日本語では国家記念日、革命記念日、さらには「パリ祭」などさまざまな呼び方があるようだが、「国民の祝日」とするのがいちばん原語に近いだろう。ただし一般のフランス人は「ル・キャトーズ・ジュイエ」(le quatorze juillet)、単純に「7月14日」と呼ぶ。「パリ祭」というのは日本特有の呼び名で、ルネ・クレール監督の映画『Quatorze Juillet』(1933年)が配給されたときにつけられた邦題が定着したものだ。

フランス革命がはじまった牢獄の跡地。現在は「7月の円柱」がそびえるバスティーユ広場。

 英語圏では「バスティーユ・デー(Bastille Day)」と呼ぶのが一般的。ご存知のように1789年のこの日は、民衆がアンシャン・レジームの象徴であったバスティーユ牢獄を襲撃して、フランス革命のきっかけをつくった日。その意味ではまさに「革命記念日」である。

この日が「国民の祝日」に制定されたのは91年後の1880年。クーデタと王政復古を繰り返す混乱期を経て、第三共和制の成立とともに、ようやく革命後の体制が安定しはじめたときだ。この年の7月14日、絶対王政の終焉を祝う最初の軍事パレードがロンシャン競馬場で行われた。国のアイデンティティの出発点という意味では「国家記念日」と呼ぶのがふさわしい。

このパレードは130年を経た現在も、場所をロンシャン競馬場からシャンゼリゼ大通りに移して続けられる恒例行事。たいていのフランス人は、朝10時ごろからパレード中継をテレビで見て1日をはじめる。戦闘機がフランス国旗の三色に彩られた煙を吐きながら飛行するのを見ないと夏がはじまった気がしない、というフランス人も少なくないはずだ。

最新型の装甲車やミサイルの行列は軍事マニアには興奮モノだし、警官や消防士も含め、騎馬隊からヒゲ面の外人部隊まであらゆる部隊に所属するおよそ4000人が整然と行進する様子は、制服フェチでなくとも見応えを感じるだろう。しかしもちろん、「税金の無駄遣い」、「大気汚染」と反対の声も少なくない。昨年の今頃も、経済危機を背景に、環境政党の緑の党がサルコジ大統領に廃止を勧める「提言書」を提出して話題になった。

軍事パレードにどのくらいの費用が投じられているのかは、実はこれまでまったく明らかにされていない。マスコミも推計しきれない「謎」のままであるが、たしかに重たい戦車が通った後の道路は無残に痛んでおり、この修復だけでも相当な費用がかかりそうなのがわかる。

パレードが終わると、大統領の演説やインタビューが放映されるのが恒例だったが、これは2年前にサルコジ大統領が「廃止」している。このあたりで人々はテレビの前を離れて昼食ということになる。夜は花火を見に行ったり、消防署で開かれるダンスパーティーに出かけたり、というのが定番。バスティーユ襲撃の1年後、廃墟と化した跡地に大きなテントを張り、「ici on danse(ここで人は踊る)」の看板を掲げて、民衆が革命を祝うダンスパーティーを開いたのがはじまりとされる。消防署で開かれるようになったのはずっと後のことだが、男中心の職場で働く若い消防士たちにとっては、女性と出会う年に1度の「勝負イベント」、と言っては言い過ぎだろうが、楽しみな1日であるには違いない。(ル・ジュスティシエ)

7月14日のイベント案内(パリ市ホームページ)
http://14juillet.paris.fr/

今年は、チェコからソ連軍が撤退してからちょうど20年。これを記念して、全身をピンク色に塗装された1台の戦車が20年ぶりに首都プラハに入った。

 1991年4月のある日、奇抜な作風で知られるチェコの芸術家ダビッド・セルニ―(David Černý)は、国の文化遺産に指定されプラハ・スミーホフ(Smíchov)の野外に展示されていた戦車を突然、仲間と共に全身ピンク色に塗りたくった(無許可で行ったためセルニー氏は起訴)。同年6月、この戦車は、文化遺産登録を抹消された上でチェコ中央部レシャニ(Lešany)の軍事技術博物館で展示されることになった。

今回、ソ連軍撤退20周年を祝うために、レシャニからプラハに「再入城」することになった。ピンクの戦車は、軍事技術博物館からスミーホフまでトラックで運搬された後、特製いかだに載せられ、現在は展示用にモルダウ川に浮かべられている(7月1日まで展示)。

7月1日は、20年前にワルシャワ条約機構(ソ連の盟主とした旧東欧の軍事同盟)が正式に解消した日だ。この日に先立つ1週間、Week of Freedomフェスティバルが開かれる。ソ連軍の撤退とワルシャワ条約機構解消を祝うこのフェスティバルでは、ワルシャワ条約機構をテーマとする国際シンポジウムが開催されるほか、歴史資料の展示会や記念コンサートなどが行われる。また、在任中(1981~1989年)に対ソ強硬路線を採ったロナルド・レーガン元米大統領(2004年に93歳で死去)の生誕100年も祝われるという。

ベルリンの壁の崩壊(1989年)20周年や今回の駐チェコ・ソ連軍撤退20周年など、東西冷戦を回顧する歴史イベントがここ数年続いているのを感じる。それにしても〝つや消しピンク〝戦車の勇姿(末尾のリンク記事をチェックして下さい!)には、プラモデル世代として強烈に惹かれるものがある。(じょぎんぐまん)

・ピンクの戦車に関するCzech News Agency記事(チェコ語オリジナル版)
http://www.ceskenoviny.cz/news/zpravy/pink-tank-returns-to-prague-floating-on-river/653761?id=653396

・同記事の英語版
http://www.ceskenoviny.cz/news/zpravy/pink-tank-returns-to-prague-floating-on-river/653761

ドイツの首都ベルリン市では6月14日、ベルリンの壁建設50周年を記念して写真パネルの除幕式が行われた。パネルは、ベルリンの壁が築かれる当時の様子などを撮った写真を引き延ばしたもので、6月15日以降にはさらにベルリン市内数か所に設置される(写真の種類は全24点)。

1961年8月13日朝、東独(当時)側が東西ベルリンを分断する壁の建設作業を開始した。その日は道路が通行止めされ、人が越えられないほどの高さの有刺鉄線が壁の設置場所に沿って張りめぐらされた。数日の内には、石が積みあげられた壁が出現した(コンクリートの壁が完成したのは1970年代半ば)。かくして約28年にわたり、高さ数メートル、総延長150キロメートル超の壁がベルリン市を東西に分断した。

壁の建設自体は8月に始まったが、実は写真パネル展示が開始された6月15日もベルリンの壁に関連した重要な日である。1961年6月15日、東独の最高指導者のヴァルター・ウルブリヒト・ドイツ社会主義統一党(SED)第一書記は、海外プレスを含むジャーナリスト数百名を集めて記者会見を行った。当時、東ベルリンから西ベルリンへ亡命する者が跡を絶たず、ベルリン情勢は緊迫していた。ウルブリヒトは、ある記者の質問に答え、「誰も壁を建設するつもりはない!(Niemand hat die Absicht, eine Mauer zu errichten)」という有名な言葉を発した。この時、初めて壁(Mauer)という言葉が東独政府関係者の口から飛び出したと言われている。その後、記者会見から2か月も経たない内にベルリンの壁が電撃的に建設され、西側世界に衝撃が走ったのだった。

8月13日にはベルリンの壁を越えようとして銃撃され亡くなった人たちなど「ドイツ分断」の犠牲者を追悼する式典が行われる。6月15 日(ウルブリヒト発言)から8月13日(壁の建設の開始)までの、50年前とちょうど重なるこの2か月間には、ベルリン文化プロジェクト社(Kulturprojekte Berlin GmBH)や「ベルリンの壁」財団(Stiftung Berliner Mauer)のイニシアティブで、ベルリンの壁をテーマとした各種集会や芸術作品展示などのイベントがブランデンブルク門などベルリン各所で開かれる。 (じょぎんぐまん)

★「ベルリンの壁」に関連する当ブログの前記事(2009年7月、パクチーさん)
https://eueublog.wordpress.com/2009/07/31/berlin-wall/

ベルリンの壁(建設)50周年
http://www.50jahremauerbau.de/

ベルリン文化プロジェクト社(Kulturprojekte Berlin GmBH)
http://www.kulturprojekte-berlin.de/projekte/50-jahrestag-des-mauerbaus/50-jahrestag-des-mauerbaus/

「ベルリンの壁」財団(Stiftung Berliner Mauer)
http://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/de/


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