こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

Archive for the ‘Architecture’ Category

国連気候変動枠組条約締約国会議(COP17)が11月下旬から南アフリカで開催される。2年前の2009年はデンマークで開催され、京都議定書後の合意に向けた討議で注目されたが、このCOP15と時期を合わせ、コペンハーゲン郊外のルイジアナ現代美術館で、「将来に向けたグリーン建築」と題して展覧会が開催されていた。持続可能な発展のためのユニークなアイデアが都市、気候、エネルギー代謝といった視点から紹介された。

この中に、フランスで活躍する建築家フィリップ・ラーム氏の手掛けた「大気中の家」という実験がある。これは、家の中を平面ではなく、気象情報のように高低ある大気圏で捉えて設計を考えたもの。温かい空気が天井まで上昇し、冷たい空気が足下に下がるのであれば、温かい温度が必要な部屋(たとえば浴室)を高めの位置に、低い温度でもよい部屋(台所など)を低い位置に置けばよい。家の中で大気を区切らない作りにすれば、室温調節は少なくて済むのだ。

2011年9月26日から東京で世界建築会議(UIA2011)が開かれた。この公開プログラムの中でラーム氏自らこの考え方を説明し、参加した建築家を始め、学生ほか一般聴衆の注目を集めていたので、改めてここで紹介したい。 (みかん)

バワがオフィスとして使っていた場所は、現在カフェに。コロンボのギャラリーカフェ(内部)

スリランカの建築家ジェフリー・バワ(1919-2003)は、20世紀半ばから後半にかけて南アジアを中心に多くのリゾートホテルの設計を手掛け、「トロピカル・モダニズム」の旗手とも言われる。作品のいくつかを訪れ、現地の植物やフォークロアなタッチをうまく取り入れ、空間を大きく使ったモダンな建物は、初めて訪れた人でも快適に過ごせる印象を受けた。 

欧州の血を引くバワは、英国で法律を勉強し弁護士となるが、欧米各地を旅した後、英国に戻って建築の勉強を始め、30代後半で建築の学位を修める。デンマーク人建築家(ウルリーク・プレスナー)をパートナーとして建築事務所で仕事を始め、生涯に手掛けた作品の数は多い。ホテルのほかに個人邸、学校、そして国会議事堂に至るまで。 

ブルーウォーターホテル

当時の潮流、モダニズムを欧州で学び、スリランカの伝統も取り入れた設計は、「バワ・スタイル」としてその後のアジア建築に影響を与えていく。バワに影響を受けた次世代の建築家たちも英国やデンマークに留学し、母国に戻って教鞭をとっているそうだ。

 

ブルーウォーターホテルから海を臨む

バワを1番身近に感じることができるのは、ルヌガンガと呼ばれる彼の自邸だろう。バワは、ゴム畑だった広大な土地を買い取り、50年かけて理想郷を実現すべく様々な実験を試みた。彼が強くこだわったものの一つは景観だ。目の前からその先まで重なる景色。彼が自邸で最も気に入っていた景色も、シナモン・ヒルと呼ばれる丘から見えるそうした眺望。彼の遺灰は壺に納められ、この丘に安置されている。    (みかん、写真も)

ルヌガンガ。手前は日時計

                       

ルヌガンガ。バワの眠るシナモン・ヒル

                                                                                     

ルヌガンガ。壁はなく庭とその先の湖が見晴らせる

ベントータ・ビーチ・ホテル

  

 

 

 

 

 

 

(参考資料)
Blue Water Hotel
Bentota Beach Hotel
a+u No.489 (2011年6月) 特集:ジェフリー・バワ ― スリランカのエッセンス

スリランカ南端の町、ゴールはその要塞とともに、1988年からユネスコの世界遺産に指定されている。この夏休み、要塞の中の小さな通りを歩きながら、小さくも個性ある古い個人宅の建築に魅了されていた。そして、ふと修復された家々にパネルが貼ってあることに気がついた(写真)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴール遺産財団による街並み保存の取り組みは、スリランカとオランダ政府との文化協力プログラムの下に行われていた。

スリランカは、シナモン、紅茶などの産地で、貿易の要所としてヨーロッパとのつながりが長い。ゴールは、14世紀にアラブ人商人の往来により貿易港として発展、16世紀にポルトガルが支配した際に砦が築かれた。その後、17世紀初頭のオランダ東インド会社の上陸でオランダがポルトガルを追放し、この要塞の中に都市を建設した。オランダの支配は140年続き、英国東インド会社が18世紀末に上陸すると、1948年にセイロン国として独立するまで、英国の植民地となる。

ゴールの要塞の中は子ども達の遊び場でもある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、この要塞内の通りに住むのはイスラム系スリランカ人が多いそうだ。中東との間で宝石商を営む比較的豊かな層だと聞く。オランダが宗主国時代の歴史遺産として修復・保存に協力し、ゴールは今も昔の姿を残す。そして訪れる人は、その歴史の一部を感じ取ることができる。案内してくれた友人は、きれいに観光地化されすぎているとぼやいていたけれど。     
(みかん、写真も)          

オランダ改革派教会内部。同じ通りにある英国の教会とは趣が異なる

              

オランダ改革派教会は2004年に修復作業が完了した

                                                                              

 

修復された個人宅の一つ

 

 

 

 

 

 

(参考資料)
Centre for International Heritage Activities
Sri Lanka Tourism
スリランカの世界遺産

  • In: Architecture | Culture
  • Comments Off on 世界最大級の軍事博物館 World’s Leading Military Museum

パリ・エッフェル塔から徒歩30分の距離にあるアンバリードの軍事博物館は、軍事関連の展示規模として世界最大である。シンボルは金のドームで、ナポレオン一世の墓が置かれている。

壮大で簡素な古典様式の建物は、17世紀に傷病兵を収容する施設を想定して創設されたと同時に、修道院、病院、工場としての機能を備え、軍事的でありながら宗教的なシステムを兼ねる一つの都市のようだ。

展示されているのは、中世から20世紀までのフランスの軍事史に関する品々で、甲冑、武器、肖像など、その数の多さに圧倒される。中世時代、ナポレオン時代、第二次世界大戦時代という大まかな時代区分による展示がメインだが、フランスのレジスタンスについての展示入り口が別にあったり、シャルル・ド・ゴールの歩みをビジュアルで視ることができるオーディオホールがあったりする。その他にも日本の戦国時代の鎧も展示されている。コレクションごとに展示エリアが分かれているが、いずれのコースも必然的にアンバリードの中庭と回廊に行き着くようになっていて、その「栄誉の中庭」を囲むようにフランスクラシック砲が並んでいる。

多くの入場者が入場チケット販売機には列を成し、博物館にはフランス内外の中高生、欧米人観光客のほか、アジア人の姿もある。ここはフランスの「国の記憶」でありながら、フランスに限らず、戦争という人類の歴史について一考させられる場所なのに違いない。(くるみ)

日本に未曾有の大被害をもたらした東北地方太平洋沖地震。被害を受けられた皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

阪神・淡路大震災以降、日本では耐震実証実験の必要性が訴えられてきました。それ以前も、縮小模型を使っての実験や、壁や柱といった建築部材ごとの実験は行われてきましたが、あくまでもシミュレーションとしてのデータ。阪神・淡路大震災では、データ上、倒壊しないはずの建造物も倒壊しました。そこで、実大規模の構造物を実際に破壊し、破壊メカニズムの解明や耐震補強効果の検証を行うことができる研究・実験施設として、2005年に設置されたのが実物大三次元振動破壊実験装置・E-ディフェンスです。世界最大で、かつ唯一の実物大の震動研究施設であるE-ディフェンスを使って、実際の構造物が地震の際に、「どう壊れるのか」、「どこまで壊れるのか」、「なぜ壊れるのか」を明らかにする研究が行われています。

このE-ディフェンスを用いて、ヨーロッパで開発されたクロスラミナパネルの実証実験が行われたことがあります。クロスラミナパネルとは、厚さ2cm程度の木材を交互に隙間無く貼り合わせた厚さ7cmから20cm程度の集成パネル。ドイツで開発され、ヨーロッパでは、中層規模のホテル、共同住宅等で壁や床に用いられ、普及しています。クロスラミナパネルを用いれば、木造でありながらも、従来のヨーロッパらしい重厚さを持った建築物を建設することができます。E-ディフェンスを用いた実験は、イタリア北部アルプスの南に位置するトレンティーノ自治州にあるイタリア国立樹木・木材研究所との共同研究の一環として行われました。イタリアは日本と同じように、地震、火山噴火といった自然災害に幾度となく見舞われています。

クロスラミナパネルを用いた7解建木造建築物を実際に組み立て、E-ディフェンスで耐震性能を調べたところ、結果は良好で、十分な耐震性能を確保し得ることが確認されました。また、不燃材料で被覆することにより、耐火性能が確保されることも確認されています。

強度の弱い木材を有効利用できるクロスラミナパネルは、次世代の建築資材として世界各地から注目を集めています。

私たちは今回の地震で自然災害の脅威を思い知らされました。ただ、今回の地震においても、耐震構造の確立に向け、尽力した人たちのおかげで、救われた命も少なくなかったと思います。自然災害に備えるにはグローバルな協力関係が不可欠です。今後も、こうした日本とヨーロッパとの共同開発が続くことを願っています。

独立行政法人防災科学技術研究所のHP(クロスラミナパネルの実証実験の映像が掲載されています)

鎌倉文学館の本館

武家政権発祥の地として知られる鎌倉。明治22年に横須賀線が開通し、出版社などへのアクセスが向上したため、多くの文学者や芸術家が移り住んだ。同時に、別荘地としても栄える。そのため、数々の歴史的建造物の中には、往事を偲ばせる洋館がいくつもある。そのひとつが鎌倉文学館だ。昭和60年に開館した同館は旧前田侯爵家の鎌倉別邸だった。戦後、デンマーク公使や佐藤栄作の別邸として使用されていたが、昭和58年に鎌倉市に寄贈された。

 鎌倉文学館の建築様式にはハーフティンバー様式とスパニッシュコロニアル様式が採用されている。ハーフティンバーという建築様式は、16世紀英国のチューダー様式の流れを汲むものだ。エリザベス1世は夏期の避暑兼地方巡幸において家臣である貴族やジェントリ(下級地主の総称・日本で言えば武士のような存在)の邸宅に滞在することを好んだため、その寵を得ようと競うようにして邸宅を飾り立てた。カントリーハウスと呼ばれるこうした邸宅のデザインを木組みで再現したのがハーフティンバー様式だ。

由比ケ浜が見渡せる

 一方、スパニッシュコロニアル様式とは、15世紀末に、スペインの入植者たちが、故郷ヨーロッパから持ち込んだ建築にアメリカ先住民族の様式を融合させながら、独特のスタイルで普及させたもの。

 半六角形の張り出し窓や半円形欄間の飾り窓、パラペット(手すり壁)の装飾、ベランダの手すりなど、両スタイルの特徴をうまく取り入れながら、和風のデザインも施された鎌倉文学館は、戦前の洋館における代表的なスタイルと言えるだろう。

 この邸宅からは由比ケ浜を眺望でき、庭園には四季折々の花が咲き乱れる。また、文学館では川端康成、大佛次郎らをはじめとする数多くの作家・詩人・歌人・俳人たちの足跡をたどることもできる。ぜひ、一度、お訪ねあれ。
(酒バラ)

鎌倉文学館のホームページ
http://www.kamakurabungaku.com/

ポール・ヘニングセンの「アーティチョーク」

 
温暖で美しい四季に恵まれた気候風土を持つ日本。古来より、時間や季節によって移ろう自然光の変化を楽しんできた。谷崎潤一郎は著書「陰影礼賛」で、まだ、電灯がなかった時代の日本の美を論じ、日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用する事で陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の芸術の特徴だと主張している。照明についても、日本では油やロウソクの外側を和紙で囲むことで光を分散する「行燈(あんどん)」が発達した。障子を通る外からの明かりにしても、紙を通る柔らかな光は日本人の美意識にも大きな影響を与えてきた。

 電灯が普及し、障子も減り、いつしか日本人の生活から、陰影がなくなりつつあるが、柔らかい照明による光と影は、心を落ち着かせてくれるもの。夜の長い北欧には光と影のコントラストが美しい照明器具が数多くある。1874年にデンマークで設立されたルイスポールセン社もそのひとつ。気鋭のデザイナーで建築家でもあったポール・ヘニングセンとの協力関係を築き、素晴らしい照明器具をいくつも世に送り出している。彼の代表作といえるのが1959年に発表された「アーティチョーク」。72枚のシェードがバランスよく配置され、光が当たると、器機自体が美しく照らし出され、周囲をグレア(=不快感や物の見えづらさを生じさせるような「まぶしさ」のこと)のないやさしい光で包み込む。あくまでも良質な光を生むことにこだわったデザイン。部屋の美しさをひきたてることこそ、彼のデザイン・コンセプトだ。(酒バラ)

ルイスポールセン社のHP
http://www.louispoulsen.com/jp.aspx

© Sophie Delaporte

お台場のホテルグランパシフィック内にある“GALLERY 21”を訪れた。現在「ファッション」と「ランドスケープ」という2つのコンセプトを主題とした3名のフォトグラファーによる共同写真展が開催されている。

1人は日本人、その他の2人はフランス人で、それぞれ「VOGUE」などのファッション雑誌やコスメ・パフュームの広告といった業界で活躍している、まさに現代ファッションを代表する写真家たちと言っていいだろう。そのなかでも私が注目したのが「人の写っていない大都市」を撮影したジャン=ミッシェル・ベール(Jean-Michel Berts)だ。彼はもともと科学者で、その後写真家に転向したという異質な経歴を持つ。しかし考えてみると、はじめから写真家志望で写真を専門として経験を積む人もいるだろうが、他の業界、例えばもともと建築家だった人が、その後写真家として活躍するという話もよく耳にする。建築と写真においては、構図やラインといった部分では感性が似ているため、全く違った分野とは言いきれないのだが、ベール氏の場合も、科学と写真に何か共通点を見いだして、写真家としての道を選んだのだろうか・・・。

© Motohiko Hasui

さて、そんなベール氏は今回、「(人のいない)贅沢な時間」と題して、“City Portrait”の写真を出展している。場所は、ニューヨークのタイムズ・スクエア、東京の浅草寺・・・などなど。とにかく人の往来が激しいところなのに、見事に誰も写っていないのだ。彼の作品を観て、以前書店で目にしてとても衝撃を受けた「TOKYO NOBODY」という(東京を舞台に人が写っていない町並みばかりを集めた)中野正貴の写真集のことを思い出した。その時も不思議でしようがなかったのだが、どうすれば人が写っていない空間を創りだせるのか、CG加工しているのではないか?といろいろと考えをめぐらせてはみたのだが、どうやら今回の展示のほとんどがCG加工なしの、まさに人がいない絶妙なタイミングを狙ったショットだというから驚きだ。

© Jean-Michel Berts

「ファッション」と「ランドスケープ」の融合ということで、ニューヨークと東京、2大都市を舞台にしているが、「ファッション」が創り出す個性が都市のアイデンティティーを形成しているという視点に着目した写真もあり、そういったことを意識しながら写真を眺めてみると、より不思議な感覚で作品を楽しめるのではないかと思う。(さくら)

“STYLE”(会期:2010年11月30日~2011年1月10日)
http://www.gallery21-tokyo.com/jp/index.html
GALLERY 21(ホテルグランパシフィック LE DAIBA 3F)
http://www.grandpacific.jp/facilities/gallery/
KLEE INC PARIS TOKYO
http://www.klee.co.jp/

心が不安になったり、現実逃避をしたくなったりした時、教会に行くと気分がスキッとすることがある。私の場合は、文京区目白にある東京カテドラル聖マリア大聖堂に行くことにしている。

聖堂に足を一歩踏み入れた瞬間、いつもその広い空間に思わず圧倒されてしまう。正面にある祭壇と十字架がまず目に飛び込んでくる。縦に長い十字架を見上げると、私の視線はいつも高い天井へと移っていく。

祭壇の対面には重厚感あふれるパイプオルガンが設置されている。その荘厳な雰囲気と圧倒的なスケールに、私はいつでも立ち尽くすばかりだ。

 東京カテドラルは、1945年の東京大空襲で焼失されるまでは木造のゴチック式の聖堂だった。現在の建物は建築家丹下(たんげ)健(けん)三(ぞう)氏の設計により、1960年に起工、1964年に落成した。丹下氏といえば、東京都庁やフジテレビ社屋の設計でも知られている。

 上空から見ると聖堂は、十字架の形をしている。ユニークな教会建築として内外に知られており、外国から数多くの見学者が訪れるというのもうなずける。

 聖堂の外には、フランス・ルルドの洞窟に似せてつくられた、東京版「ルルドの洞窟」がある。マリア様に対する信仰の気持ちから、フランス人宣教師がつくったそうだ。

 私が以前、訪れたことのある、ケルン大聖堂やミラノのドゥオーモのような、歴史あるゴシック建築とは異なり、近代的なシンプルなつくりだと感じた。しかし、心の安らぎの場所であることは、ヨーロッパの教会と変わらない。(モコちゃん)

東京カテドラル
http://www.tokyo.catholic.jp/text/cathedral/katedoraltoha.htm

バウハウス・キッチン

Bauhaus!
少しでもデザインをかじった者にとって、この名前の持つ響きには特別なものがある。
バウハウスと聞いただけで思わず襟を正し、背筋を伸ばしてしまうような所がある。例えば、バウハウスで教鞭をとったモホリ=ナジ・ラースローの写真を見ればいい。ぎりぎりまで切り詰められたストイックな空間構成と、合理的な思考に裏打ちされたデザイン感覚。雲一つない秋空のような明晰な意識というものを、そこに感じるはずだ。

バウハウスは、1919年にドイツのヴァイマールに設立されたデザインと建築の学校だ。1933年にナチスによって閉鎖されてしまったため、活動期間はわずか14年しかなかったが、世界のモダニズム・デザインに計り知れない影響を与えたことで知られている。「機能はデザインに優先する」という理念に基づき、過剰な装飾をとことん削ぎ落としたソリッドな造型美を追い求め、その精神を学生たちに伝授していった。

2010年の9月18日から12月12日まで、パナソニック電工 汐留ミュージアムで開催されていた「バウハウス・テイスト バウハウス・キッチン」展は、このアートスクールでデザインされた調理器具などを通じて、バウハウスの美学を考えてみようというユニークな試みだった。こうした展示の中でも特に面白かったのが、当時の教授宅(バウハウスの理念に基づいて建築された)にあったキッチンをパナソニック電工のデザイナーチームが現地に赴いて調査し、映像記録などをもとに、デッサウのバウハウス財団と共同で再現した1/1模型だ。

白いタイルが貼られた床に、幾何学模様のように並ぶ収納棚。ガラス窓から降り注ぐ外光。シンプルな調理器具や調味料ケース。まるで美術館のホワイト・キューブのような静謐さ。極めて整然と整理された空間構成は、バウハウス・テイストそのものだ。1世紀近く前に設計された台所にしばらく佇んでいると、不思議な時間感覚に襲われてしまった。過去なんだけれど未来的で、それでいて何だがとても懐かしい。「レトロ・フューチャー」な感覚とでも言えばいいのだろうか。もしスティーブン・ソダーバーグのSF映画『ソラリス』にキッチンが登場するとしたら、おそらくこんなキッチンが一番しっくりくるのかもしれない。(ロニ蔵)

パナソニック電工 汐留ミュージアム
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/access/


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