こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

Archive for the ‘History’ Category

 みなさんは、マルチーズという犬をご存じだろうか?絹糸状の純白で、光沢のある被毛が風にたなびくあの犬である。ドッグショー(犬の姿形を審査する「品評会」)では、無類の強さを誇る犬で、日本を含め屋内犬としては定番の犬種である。
 一方で、みなさんはフェニキア人という名を聞いたことがあるだろう。紀元前、地中海全域を舞台に活躍し、その交易活動によって、古代オリエントで生まれた素晴らしい文明を地中海全域に伝えた人々である。いわゆるアルファベットの起源がフェニキア文字といわれ、今日の文明に多大な影響を残していった。ちなみにアルファベットのAは牛の頭の形を逆さまにしたものといわれている。
 一見つながりの無さそうなこの両者の関係、実は3,000年前に出会わなければ、現代社会でこんなにも身近な存在にはなれなかったかもしれない。

 マルチーズという名前は地中海のマルタ島からとったものとされている。もっとも、現在マルタ島でマルチーズを見かける事はない。そのマルタ島は、紀元前1,500年頃にはフェニキア人の貿易の中継地として、地中海諸国の中で最も殷賑を極めた場所だった。確かな裏付けはないが、もっとも有力な説として、マルチーズはアジア由来の小型犬をフェニキア商人がマルタ島に持ち込み、改良固定させたというものがある。初期のマルチーズは船員のペットとして船の中で飼育されることが多かったため、容易に貿易相手国に広まっていったそうだ。
 そして、これを皮切りに、紀元前500年頃のギリシャでは陶製の壷や皿に白色長毛のマルチーズの姿が描かれ、ついには墓まで建てたられるようになった。ローマ人はマルチーズのために詩や肖像を残している。エジプトでは歴代の王家が、金の器で食事をさせたといわれ、15世紀のフランスでは大流行犬となり破格の価格で取り引きされていた。マルタ島がイギリス領となった1813年以降は、ビクトリア女王をはじめとする王室貴族の寵愛を一身に受けるようになり、世界的に知られるようになった。
 人類が愛玩犬のために行なった事始めは、マルチーズのためだったとさえいわれている。

 今日、マルチーズがドッグショーに出陳された場合、かなり高い確率でB.I.S.(ベスト・イン・ショー、大会最優秀賞に相当)または、それに準ずる順位を獲得することが多い。世界中の人々との付き合いが長く、それぞれの好みを一身に受け入れ改良されてきたので、理想にもっとも近い犬種なのかもしれない。
 マルチーズを世界中にひろめたフェニキア人もまた、文字という形で欧米だけに留まらず、全世界中で生き続けている。政治的・経済的な要因はあるものの、ここまでたくさんの人々の生活に入ってきたのは、その都度それぞれの地の生活や習慣に合わせてきたからだろう。
  ―――この世の全てのモノは変化を繰り返し、その時の理想に近づこうとする―――マルチーズを見ていると、そんな思いを深く抱かせる。 (ばんどうたろう)

【リンク先】
●社団法人ジャパンケンネルクラブ マルチーズの紹介
http://www.jkc.or.jp/modules/worlddogs/entry.php?entryID=161&categoryID=9

●ウィキペディア フェニキアの紹介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA

●マルタ共和国政府ホームページ
http://www.gov.mt/index.asp?l=2

今年、平泉(岩手県)と小笠原諸島(東京都)がユネスコの世界遺産に登録され、日本中が歓喜に沸いた。まさに、日本にとって「世界遺産YEAR」といっても過言ではないだろう。それを意識したわけでもないのだが、今年の夏、ベルギーにある世界遺産「ブルージュ歴史地区」を訪ねてみた。

ブルージュ歴史地区は、首都ブリュッセルの北西に位置し、特急で1時間ほどの距離にある。旧市街には運河が張り巡らされ、その周囲をギルドハウス(ベルギー特有のギザギザ屋根の建物)やゴシック建築の歴史的建造物が囲み、まるで中世にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるほどだ。

船上クルーズ。街歩きとはまた違った魅力を体験できる。

運河クルーズもさることながら、夜のブルージュはまた何とも感慨深い。雨に濡れた地面と霧がかった町並みが、その雰囲気をより一層引き立たせてくれる。
「街全体が美術館」と称される意味が分かるような気がする。

 ブルージュで有名なのが、ボビンレースと呼ばれるレース編み。北海につながる運河のおかげで、15世紀には織物産業による隆盛期を迎えた。その後、ブルージュは衰退の一途をたどるが、19世紀に以前の活気を取り戻し、今では国内外から観光客が訪れる魅力的な街に成長している。 

世界遺産に登録されると、街の景観が乱れ、本来の環境が破壊されてしまわないかと危惧してしまうが、こうやって注目を集めることでより一層素敵な土地へと成長できれば、世界遺産に登録される意義があると私は思う。いつか平泉と小笠原諸島へも足を運んでみたいものだ。(さくら)

夜のブルージュ。雨に濡れた街もまた趣がある。

[URL]
水の古都ブルージュ(ベルギー・フランダース政府観光局)
http://www.visitflanders.jp/what_to_do/travel/hitoritabi3/plan/brugge.html#plan1

Historic Centre of Brugge (UNESCOサイト)
http://whc.unesco.org/en/list/996

経済広報センターと日独センターの共催シンポジウム(9月30日)「日本再建~変貌する国際関係への視点も含めて~」についての続き。

基調講演を行った植田隆子・国際基督教大学教授は、中国が台頭しアジアへの関心が高まる中、かつての日米欧の勢力関係は時代に即しているのかというテーマを提起した。アジア太平洋地域はアメリカの影響が大きいためEUが参入できていないという現状があるが、偶発的な衝突で危機が高まる可能性のあるアジア太平洋地域においては、日米欧の関係は秩序やルール作りに貢献できる点があるとされた。そのために、安全保障対話の場を常設する必要と、その機能を東京に置くことで地域の安定が図られるのではとの結論だった。最後にヘンリー・キッシンジャーが中国の存在を大戦前におけるドイツの台頭になぞらえたことを引用されて話を終わられた。今日の国際関係の類似が過去の世界史の中に見い出せるとするなら、今日との比較事例として大いに参考になるということか。

現場をよく知る方々からの冷静で客観的な意見や指摘が多く出されて、有意義なシンポジウムだったと感じた。(くるみ)

【リンク】
日独センター
http://www.jdzb.de/

スリランカ南端の町、ゴールはその要塞とともに、1988年からユネスコの世界遺産に指定されている。この夏休み、要塞の中の小さな通りを歩きながら、小さくも個性ある古い個人宅の建築に魅了されていた。そして、ふと修復された家々にパネルが貼ってあることに気がついた(写真)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴール遺産財団による街並み保存の取り組みは、スリランカとオランダ政府との文化協力プログラムの下に行われていた。

スリランカは、シナモン、紅茶などの産地で、貿易の要所としてヨーロッパとのつながりが長い。ゴールは、14世紀にアラブ人商人の往来により貿易港として発展、16世紀にポルトガルが支配した際に砦が築かれた。その後、17世紀初頭のオランダ東インド会社の上陸でオランダがポルトガルを追放し、この要塞の中に都市を建設した。オランダの支配は140年続き、英国東インド会社が18世紀末に上陸すると、1948年にセイロン国として独立するまで、英国の植民地となる。

ゴールの要塞の中は子ども達の遊び場でもある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、この要塞内の通りに住むのはイスラム系スリランカ人が多いそうだ。中東との間で宝石商を営む比較的豊かな層だと聞く。オランダが宗主国時代の歴史遺産として修復・保存に協力し、ゴールは今も昔の姿を残す。そして訪れる人は、その歴史の一部を感じ取ることができる。案内してくれた友人は、きれいに観光地化されすぎているとぼやいていたけれど。     
(みかん、写真も)          

オランダ改革派教会内部。同じ通りにある英国の教会とは趣が異なる

              

オランダ改革派教会は2004年に修復作業が完了した

                                                                              

 

修復された個人宅の一つ

 

 

 

 

 

 

(参考資料)
Centre for International Heritage Activities
Sri Lanka Tourism
スリランカの世界遺産

6月14日から8月21日にかけて、三菱一号館美術館(東京・丸の内)で「もてなす悦び展」が開催された。この展示会は、19世紀末のロンドン、パリ、ニューヨークで人気を博した日本の陶器、漆器などいわゆる美術工芸品を、時代背景と共に紹介するもので、その当時の欧米における「ジャポニスム」旋風を肌で感じることができた。

大学のゼミで「18世紀末イギリスの産業革命」を専攻したこともあり、この時代については、以前から興味があった。卒業論文も、イギリスにおける紅茶文化の普及とジョサイア・ウェッジウッド(イギリス最大の陶器メーカー「ウェッジウッド社」の創設者)の偉業について取り上げたので、基礎知識は十分持ち合わせて展覧会に挑んだつもりだった。しかし、この頃の欧米では、現代の日本の漫画・アニメにも通ずる「日本ブーム」が芸術面で既に開花していたという事実は、新たな発見であり、驚きでもあった。

そもそも、ヨーロッパに紅茶文化が普及し始めたのは、オランダ東インド会社が17世紀初頭に設立され、アジア諸国へ進出したことが大きく影響しているといわれている。肥前、伊万里といった日本の陶器は、それぞれ17世紀後半、18世紀初頭にオランダへ輸出されている。その後、19世紀初頭には、インドで新種の茶樹・アッサム種が発見され、インド・スリランカでの紅茶の栽培が開始。そうしてヨーロッパの紅茶消費量は一気に加速する。ほどなく、上流階級の嗜好品だった紅茶は、労働者階級といった中産階級層にも広まり、産業革命時代には、紅茶は黄金期を迎えるのである。

というのが、少ないながらの私の基礎知識であるが、注目すべきは、中産階級層に紅茶文化が広まったという事実である。「もてなす悦び展」では、実にさまざまな茶器を展示していたが、その頃の大衆文化において、茶器の芸術をたしなむ余裕というものが感じられる。産業革命下において、一般庶民にも裕福とはいえないが、一定の生活水準が保たれるようになり、「美しいものを愛でる」という感覚が生まれてきたのである。

日本の茶器の絵柄に、欧米の人々は魅了された。ティファニー・スタジオが、朝顔柄のガラス工芸品を発表。瞬く間に欧米において「朝顔ブーム」が巻き起こる。その後もファン・パターンといわれる扇の絵柄を真似たり、蜻蛉、蝶、桜、竹、紅葉、ひょうたんといった日本独特の絵柄を、ロイヤル・ウースター社、ウェッジウッド社、ミントン社などが競って自社製品に採用した。

「日本ブーム」に火をつけたのは、19世紀中頃、ロンドン、パリなどで開かれた万国博覧会の影響が大きいといわれる。いわば「日本を欧米の大衆にアピール」する絶好の機会が与えられたのである。

このようにして、日本と欧米の芸術的価値というものがひとつとなった瞬間を、陶器を通して感じることができたことも大きな収穫だった。そしてまたひとつ、大好きな茶器と紅茶文化の知識が膨らんだような気がする。(さくら)

[URL]
三菱一号館美術館「もてなす悦び展」(会期:6月14日~8月21日)
http://mimt.jp/omotenashi/

おそらく今年のナンバーワン写真展になるはずだ。
こんなに迫力ある写真展は、ここ何年間か記憶にない。
5月1日から7月18日まで、東京都写真美術館で開催されていた「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」展のことだ。

この写真展は、1968年8月のソ連のプラハ侵攻時における最初の一週間を捉えたもの。ソ連軍の暴力に対して、いかに勇猛果敢にプラハ市民が立ち向かったのか―それを物語る数々の写真に圧倒されない者はいないだろう。とにかく凄い。よくもこんな写真が撮れたものだ。撮影者であるクーデルカ(1938−)は、あたかも空気のように自分を消し去って、プラハの春の圧殺の現場に立ち会っている。

クーデルカは僕の大好きな写真家の一人だが、ロバート・キャパ賞受賞の彼の最高傑作を東京で見ることが出来るとは思ってもいなかった。この画期的なフォト・ドキュメントは、二つの勇気を教えてくれる。一つはソ連の暴虐に立ち向かうプラハ市民たちの勇気。そしてもう一つは、こうした歴史的な瞬間を必死に記録しようというクーデルカの勇気だ。

 この写真展を眺めながら思ったのは、原発事故という目に見えない暴力に立ち向かうことの勇気というのはどんな形になるのだろうかということだ。チェコスロバキア(現在のチェコ)の生んだ偉大な写真家クーデルカ(現在はフランス国籍)なら、現在の日本をどんな風に捉えるのだろうか。(ロニ蔵)

    前回に引き続き、犬について考える。

   我が家のシュウと同じ、チベット原産の犬でチベタン・マスティフという犬がいる。かつてアレキサンダー大王の大遠征に同行した犬といわれ、現在のマスティフ犬種のルーツといわれている。昔チベットでは、王宮内の守りはラサ・アプソ、王宮外の守りはチベタン・マスティフが担っていたそうだ。

   さて、犬という動物、言葉の世界ではその意味が文化や環境によって変化するようで、常にトモダチ、イイ奴というわけにはいかないようだ。犬が人類にとって、あまりに身近な存在だからだろうか。

 以下に英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語でできるだけ重複しないように、犬に関する語、ことわざなどを数例挙げてみる。

      <英語>
Every dog has his day.(だれでも栄えるときがある)
Give a dog a bad an ill name and hang him.(悪評をとったら最後)
Let sleeping dogs lie.(眠っている犬は寝かしておけ:やぶをつついて蛇をだすな)

 <フランス語>
Qui me amat, amet et canem meum.(私を愛する人は私の犬も愛する:あばたもえくぼ)
Qui veut noyer son chien l’accuse de la rage.(犬を溺死させたい者はその犬を狂犬病だという:理屈と膏薬はどこへでもつく)
les chiens écrasés(車にひかれた犬:新聞の三面記事)

 <ドイツ語>
Auf den Hund kommen.(犬に乗る:落ちぶれてしまったさま)
Den letzten beißen die Hunde.(最後の人は犬に噛まれる:他の人より遅く行動する人は罰を受ける)
Hundemuede(猟犬のように走り回って、クタクタに疲れ果てる)

 <スペイン語>
Al perro flaco no le faltan pulgas.(やせ犬にはノミがたかっている:泣きっ面に蜂)
Atar los perros con longaniza.(ソーセージで犬をつなぐ:他人の羽振りの良い様子を皮肉っぽく表現したもの)
El perro con rabia, a su dueno muerd.(怒り狂っている犬は、主人さえも噛む:激怒している者は正常でない、大変危険なようす)

 <イタリア語>
Essere come cani e gatti.(犬猫の仲:犬猿の仲)
Can che abbaia non morde.(吠える犬はかまない)
Fortunato come un cane in chiesa.(運が悪いことを嘆く)

 

 これらは、ほんの一部でしかないが、人間と犬の長い交流の歴史を感じ取れる気がする。
                                                                                    (ばんどうたろう)

 

・社団法人ジャパンケンネルクラブのラサ・アプソに関するページ
http://www.jkc.or.jp/modules/worlddogs/entry.php?entryID=159&categoryID=9

・社団法人ジャパンケンネルクラブのチベタン・マスティフに関するページ
http://www.jkc.or.jp/modules/worlddogs/entry.php?entryID=49&categoryID=2


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