こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

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デンマーク映画界の鬼才で「ドグマ95」の創設メンバーでもあるトマス・ヴィンターベア(Thomas Vinterberg)監督の最新作『光のほうへ(Submarino』を先日鑑賞した。

この映画は、福祉先進国で国民幸福度第一位の国として知られるデンマークの「闇」を映し出した作品となっている。主人公はシングルマザーの家庭で育った兄弟。二人にはまだ生まれて間もない末の弟がいた。母親はアルコール依存症で、育児を放棄し定職にもつかず、文字通り家は荒れ放題だった。そんな母親に代わって、幼い弟に粉ミルクを飲ませるなど献身的に世話をする兄弟。だがある日、二人が目を離した数時間の間に、赤ん坊はベットの上で突然息をひきとってしまう。

十数年後、大人になった兄弟は、お互い連絡も取らず、それぞれ別の場所で生活をしていた。兄は刑務所から出所したばかりで、臨時宿泊施設に住み、ただひたすら体を鍛える日々を送っていた。一方弟は、男一人で息子を育てているのだが、薬物依存から抜け出せずにやがて深みにはまっていく…

幼い頃に起きた事件を封印するかのように、兄弟は互いに接触することを拒み、過去から目をそらす。その痛々しい姿が全編を通して伝わってくる。

コペンハーゲンの郊外に聳え立つグルントヴィークス教会

OECD加盟国の中でも貧困率は最も低く、貧富格差も少ないデンマークだが、この映画のように、「アルコール依存症」や「虐待・暴力」といった「社会の闇」に真っ向勝負した作品が多いのは、ある意味デンマーク映画の特徴と言っていいだろう。実際、私が昨年の夏、デンマークのコペンハーゲンを訪れた時も、「幸福な国」という先入観があったため目に入らなかったからなのか、街全体を見渡しても、貧困層が住むような地域があるようには見受けられなかった。

しかし一般の人々の様子を観察すると、そこまで裕福といった感じはなく、街行く人の表情からは「幸せいっぱい」といった明るい印象はあまり伝わってこなかった。むしろ、終始「無表情だった」といったほうが表現としては当てはまるのかもしれない。

とは言うものの、あくまでもこれは私の主観であるため、見る人によっては、それでも「世界一幸福な国」に映るのかもしれない。しかし、国内外の社会問題を真正面から取り上げ、その解決のために、自分たちはどう向き合うべきかを常に問いつづけるのがデンマーク人の特徴でもあると感じた。またそれは「幸福」の裏で隠れてしまいがちな天井のアーチが連なる独特の内装「闇」をあえてしっかりと見つめていこうとしている現われでもある。そういった常に社会に警鐘を鳴らし続けていく姿勢も、実はデンマーク人の国民性だったりする。

 余談ではあるが、映画のラストに出てきた教会は、昨年、デンマークの旅行中に出会った建物の中でも特に印象に残っている教会だ。実際足を踏み入れてみたのだが、とても厳粛な気持ちになれたし、心地よい光に包まれ、不思議と心が落ち着いていく感覚を覚えた。映画のラストシーンにふさわしい場所だと、妙に納得してしまった。(さくら)

東京有楽町マリオン・朝日ホールで、6月23日(木)~6月26日(日)に、フランス映画祭2011が開かれた。第一回目は、横浜で1993年に始まり、その後毎年開催されている。

今回、12作品のうち『匿名レンアイ相談所』を鑑賞した。主人公は小さなチョコレート工場を経営するジャン=ルネと、その工場にセールス担当として採用されたアンジェリック。甘いチョコレートに囲まれた主人公たちの甘い恋愛模様を描く“フレンチ・ラブ・コメディー”、と一言で片付けてしまえばそれまでなのだが、この映画が、普通のラブ・コメディーと一線を画しているのは、この主人公が、二人して「あがり症」なのである。

「あがり症」とは、例えば人前に立って話をすると、極度の緊張でパニックになって、顔が赤くなったり、手に汗をかいたり、手足が震えたりする症状のこと。物語の中でも、二人は人間関係を築くことに不器用で、アンジェリックは「あがり症」克服のため、ワークショップに通い、ジャン=ルネは専門の医師にカウンセリングを受けている。症状は彼らにとって深刻な悩みなのだが、それを面白おかしく仕立てているのが、この映画を撮ったジャン=ピエール・アメリス監督の力量なのだろう。

ジャン=ピエール・アメリス監督(写真中央)           *写真をクリックすると拡大されます

映画を観終わったあと、アメリス監督のトークショーが行われた。監督自身が「あがり症」で、10年前に「あがり症」を主題にした映画を撮ろうと思い立ったらしい。つまり、この映画の主人公は監督自身の投影なのだ(さらに、主人公アンジェリックを演じたイザベル・カレ自身も、実はあがり症なんだそう)。

監督が語った言葉で印象に残ったことがある。「『あがり症』の人たちは極度の心配性で、ありもしないことを想像して、そのせいで不安のあまり、行動できず内にこもってしまう傾向があります。つまり挑戦することを恐れるんです。私がこの作品をコミカルに描いた理由には、考え方を一つ変えれば、人生はこんなにも楽しくできるんだ!ということを観ている人に知って欲しかったからなのです」。

監督自身も、映画という表現方法と出会い、あがり症を克服できたのだそう。自分を表現する場があれば、きっと誰しも、コンプレックスを個性に変えて、自信を持って前に向かって進んでいく勇気が出るのではないか。そんな希望を与えてくれる作品でもあった。(さくら)

フランス映画祭2011『匿名レンアイ相談所』
http://www.unifrance.jp/festival/2011/films/2011/05/les_emotifs_anonymes.html

  • In: Culture | movie
  • Comments Off on 桃井かおりが主演、ラトビア人が監督した映画『AMAYA』 Kaori Momoi Starring in the Lativian film AMAYA

EUフィルムデーズ2011でラトビア映画『AMAYA』を観た。といっても、ラトビアはラの字も出てこない。舞台は現代の香港で、中国人の夫と桃井かおり演じる日本人の妻雨夜の周りで起こるいくつかのエピソードが、英語、中国語、日本語で交錯した国際色豊かなストーリー。

世界のどこの国でもおこりそうな出会いと別れと再会。監督の出身国を強調することなく、逆に、ある人が感じることを今やユニバーサルに共感することができる、まさに時代はグローバルだということを感じさせる映画だった。

旅行者ポールは、雨夜の働くマッサージ店に講習を受けにやってくる。出身はヨーロッパだが「小さな国で誰も知らないよ」と語らない辺りがラトビアを連想させたが、母親との電話の会話が英語だったので英国に移住した家庭に育ったのかも、と想像が膨らむ。

このポールを演じたのはリトアニア人ミュージシャン・俳優・音楽プロデューサーのアンドリュス・マモントヴァス。恋人と別れてから世界を放浪してきた自由人、世界の人と通じ合えるものを持っている世界人の雰囲気を上手く表現していた。テーマは人類愛?自分らしく自由に生きたいと願いつつも、実際はそれぞれが複雑な思いを抱えている、そんなところに見応えを感じた。    (みかん)

 

フランス60年代後半から70年代におけるポップミュージック界で中心的な役割を果たしたセルジュ・ゲンスブール。スキャンダラスなヒット曲「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」やフランス国歌のレゲエ風アレンジなどのエピソードでも知られる。日本では、今年没後20年を記念して3月には「ゲンスブール・ナイト2011」が催されたが、5月からはその生涯を描く伝記的映画「ゲンスブールと女たち」が公開している。

この映画は、単に伝記的映画として楽しむ作品ではないようだ。作品中に、アニメやCG、シャンソンやフレンチ・ポップスなどの音楽がちりばめられ、ゲンスブールや彼を愛した女性たち―ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン、ジュリエット・グレゴなど―を演じる美しい女優たちが登場している。ロマンスと音楽、そしてゲンスブールの才能が外側に向かって出て行くファンタジックなストーリーが楽しめる。そして破天荒ながらも、真実をつかもうとするゲンスブールの繊細さが伝わってくる。

「ゲンスブールの年」にふさわしく、映画皮切りの他にも音楽ドキュメンタリーDVDなども販売中だ。60~70年代の流行を作っただけでなく、その後のフランス・カルチャーにおいても影響力をもったゲンスブールの感性を見ていると、彼が存在していたら会ってみたいと思わせる。(くるみ)

映画『ゲンスブールと女たち』
http://www.gainsbourg-movie.jp/

  • In: Art | Fashion | movie
  • Comments Off on デザイナーとしても評価されるバレエ・ダンサー Japanese Ballet Dancer Also Acclaimed Costume Designer

『ブラック・スワン』を観た。主役を演じたナタリー・ポートマンがアカデミー賞の主演女優賞を受賞した映画だ。プリマ・バレリーナのニナを演じた彼女の鬼気迫る演技に圧倒された人も多かったのではないだろうか。

彼女は『白鳥の湖』を踊るプリマ(主役)だが、白鳥と正反対の性格を持つ黒鳥の役作りに苦労する。純粋無垢の白鳥には最適なキャラクターが災いして、邪悪な性格をもつ黒鳥には向かない。いくら努力しても、官能的なブラック・スワンにはなりきれない。その心の葛藤がサイコスリラーの手法で描かれていて、ニナの精神世界にぐいぐいと引き込まれていってしまった。

監督は、『レスラー』のダーレン・アロノフスキー。同作品ではミッキー・ローク演じる中年のレスラーの悲哀が描かれていて、老いていくことの寂しさがしみじみと伝わってきた。しかし僕が最も凄いと思ったのは、主演女優でも監督でもなくて、二ナの練習着を制作したコスチューム・デザイナーだ。デザインを担当したのは、ドイツ在住の竹島由美子(1970-)さん。彼女のデザインした練習着は、二ナの鞭のようにしなる肉体にフィットして皮膚の一部と化していた。一度彼女のコスチュームを見た人は、とてもセクシーで、それでいて可愛いと誰でも思うはずだ。

4歳よりバレエを始めた彼女は、1993年、13歳でサンフランシスコ・バレエ・スクールに留学。16歳でプロダンサーとして活躍し始める。1996年にキエフ国際バレエ・コンクールで金賞を受賞。

彼女がコスチューム・デザインを始めたのは1990年代の後半で、身体の動きを開放してくれるようなコスチュームがほしくて、自分で作ってしまった。仲間からも欲しいと言われて作った手製のコスチュームが口コミで評判を呼び、今では世界の8割のダンサーが愛用するまでになった。マドンナも彼女のコスチュームのファンだという。

2006年には、ドイツのドレスデン・ゼンパーオーパー・バレエ団にプリンシパルとして移籍。現在も同バレエ団のプリンシパル・ダンサーとして活躍中だという。もしドレスデンに行くような機会があったら、彼女のバレエを是非とも観てみたいものだ。(ロニ蔵)

  • In: Country | Denmark | movie | society
  • Comments Off on デンマーク映画『未来を生きる君たちへ』 Danish Film “In a Better World” Looks at How We Can Live Without Hatred

今年2月におこなわれた第83回アカデミー賞授賞式で、外国語映画賞を受賞した、デンマーク映画『未来を生きる君たちへ(In a Better World)』が、日本でもこの夏公開される予定だ。

以前、筆者のブログでも紹介したが、監督は、『アフター・ウェディング(After the Wedding)』(2007)や『しあわせな孤独(Open Hearts)』(2002)など、国内外で多くの賞を受賞しているスザンネ・ビア。今回も、現代社会に渦巻く「善」と「悪」という微妙な境界線を通して、その先に見える本質とは何かを、観客に投げかける作品となっているようだ。

ストーリーは、「暴力」と「復讐」(原題はスウェーデン語で「復讐 “Hævnen”」を意味する)がテーマとなっている。今、世界で起こっている戦争は、アフガニスタンにせよ、イラク戦争にせよ、「復讐」という2文字が根底にある。「復讐」は、また更なる「復讐」を生むだけということを知っていながら、人々は、いつの時代も復讐劇を繰り返す。

映画は、主人公の子どもが受けるいじめや、アフリカの難民キャンプに従事する医師の苦悩、また、家族間に生じた亀裂といった、複雑に絡み合った人間模様を軸に展開される。一見、それぞれの「復讐」には関連性がないように思えるが、たとえ小さな「復讐」であれ、それが積もり積もると、取り返しの付かない巨大な憎しみへと変わるという点に関しては、ある種の一貫性があるように思う。より良い世界を作るために、われわれはどんな選択をすればよいのか、この作品にはそんなヒントも隠されているに違いない。今から公開が楽しみだ。(さくら)

『未来を生きる君たちへ』(今夏公開予定)
http://www.mirai-ikiru.jp/

  • In: Art | movie
  • Comments Off on カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を鑑賞して Who Determines Your Life?: Review of the Movie Never Let Me Go

ブッカー賞作家カズオ・イシグロの同名小説を映画化した『わたしを離さないで』(原題:“Never Let Me Go”)を鑑賞した。カズオ・イシグロは、1954年に長崎県で生まれ、5歳の時に英国に移住。今回の映画化にあたっては、みずからもエグゼクティブ・プロデューサーとして参加した。

物語は、28歳の介護人のキャシーの回想を通して語られる。キャシー、ルース、トミーの幼なじみ3人の関係性から、幼い頃に育った寄宿学校ヘールシャムでの奇妙な生活、離れ離れになったあとの10年ぶりの3人の再会…。

緑豊かなヘールシャムでの暮らしは、閉鎖的でありながらも、子どもたちは徹底的な健康管理を受け、絵や詩の創作に励んだ日々を送っている。腕にはセンサーが埋め込まれたバンドをはめ、施設から外に出るときは、特殊な機械にそのバンドを通す。そうやって終始監視されている状態だ。学校の敷地には境界線が張り巡らされ、そこから出ることは許されず、外界からは完全に隔離されている。

そんなヘールシャムでの生活を、子どもたちは誰一人として違和感や不信感を抱かずに過ごしている。まるで機械のように、淡々と、冷静にその状況を受け入れているのが印象的だ。心の奥では、外の世界に夢馳せているにもかかわらず…。

やがて思春期を迎える3人だが、ルースとトミーが恋人同士となり、その3人が同じコテージで過ごすことになる。トミーに想いを寄せるキャシーだが、2人の仲をただ黙って見守ることしかできなかった。やがてキャシーは、「介護人」を志願し、コテージを去る。

物語の途中で、彼らはみずからの運命を知ることとなるが、その際も動揺すらせず、ただ黙ってその運命を受け入れるのだった。そこに人間的感情はないように映る。人は、誰もが「自分の人生」を歩むものであると当然のことのように感じてしまいがちだが、ヘールシャムで育った子どもたちの場合は、運命はすでに決定づけられ、みずからの生命は他の者のためにあるという現実を突きつけられているのだ。

主人公キャシーの最後の言葉がとても印象的だった。その投げかけがこの作品のテーマにもなっているように思う。人生を選択できる者として、今をどう生きるか。少し重いテーマではあるが、生き方を見つめなおす良い機会となるであろう。(さくら)

『わたしを離さないで』(3月26日公開)
http://movies.foxjapan.com/watahana/

  • In: movie
  • Comments Off on トスカーナの贋作 Film in Tuscany: Certified Copy

「トスカーナの贋作」とは、第63回カンヌ映画祭で、ジュリエット・ビノシュが女優賞を受賞したイタリア・フランス合作の映画。2011年2月から日本で上映されている。

イタリア南トスカーナ地方の小さな町アレッツオで、講演に訪れたイギリスの作家(ウィリアム・シメル)はギャラリーを経営しているフランス人女性(ジュリエット・ビノシュ)に出会う。二人は、作家の新作のテーマである、芸術におけるオリジナルと贋作について論議した後、中世の美しい建造物が残る町として知られるルチニャーノへ向かう。しかし、カフェの女主人が二人を夫婦だと勘違いしたのをきっかけに、15年連れ添ったカップルを装いながら、夜9時までの旅を続ける。

映画は「贋作」についての作家のレクチャー場面から始まり、突然に「夫婦」の会話が紡ぎ出されていく。そこでは、男女の気持ちの違いから生じる口論の場面があるが、英語、フランス語、イタリア語で二人がばらばらに会話しているあたりに、装いを超えた本音のぶつかり合いも感じさせる。現実に留まりたい作家と、虚構の世界に入り込みたいジュリエット・ビノシュがぶつかり合うが、彼女の役回りからくるファジー感が全体に漂っている。

「夫婦」としての仮のシーンが折々に登場するが、恣意的な設定なのか二人の息合せから来ているのか、だんだん分からなくなってくる。そして、ストーリーの結末は、贋作か、真実か・・・。カンヌやヴェネチアで受賞暦のあるイランのアッバス・キアロスタミが監督を務めた。見る人によって捕らえ方が変化し得る不思議な映画的境地に魅せられる。(くるみ)

映画「トスカーナの贋作」公式サイト

 人前で話すことが苦手な人は少なくないと思う。かくいう私もその一人。なるべく人前で話しをしないようにといつも逃げ回っている。でも、それが一国の国王となれば、そうはいかないだろう。

 第83回アカデミー賞で、作品賞をはじめ、主演男優賞、監督賞、脚本賞に輝いた映画「英国王のスピーチ」は、現在の英国エリザベス女王の父上、ジョージ六世が主人公。子供の頃から吃音に悩まされて苦労してきた国王は、夫人のエリザベスに後押しされるように、言語聴覚士ライオネルの治療を受けることになった。このライオネルは、ジョージ六世を呼び捨てにし、対等な立場で治療を施そうとする。しかも、その治療は床を転がりまくったり、大声で罵詈雑言の言葉を発しさせたり、と奇妙なものばかり。ライオネルの無遠慮な態度に、ジョージ六世は最初は反発を覚えていたが、次第にライオネルを受け入れ、信頼する仲に発展していった。

 映画のクライマックスは、ジョージ六世による、ドイツに対する宣戦布告(1939年)のスピーチの場面だ。ラジオ放送のマイクの前に立ち、演説を始めるまで、見ている者はハラハラするだろう。私も思わず「ジョージ六世、がんばれ!」と言いたくなってしまうほどだった。結果的に、国王は英国国民に向かって、一致団結を促し、そして皆に勇気を与える名演説を行った。

 派手な演出やアクションシーンは無いが、それでも最後まで飽きずに見られたのは、これが史実であり、また一人の人間がプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、困難に立ち向かっていく真摯な姿に、心を打たれるからだと思う。いい映画だった!(モコちゃん)

映画「英国王のスピーチ」公式サイト
http://kingsspeech.gaga.ne.jp/

ファティ・アキン監督の『ソウル・キッチン』を観た。監督が生まれ育ち、現在も暮らす、ドイツのハンブルグという街に対する愛に満ち溢れた映画だった。旅をしながらストーリーが展開していく「ロードムービー」も楽しいけれど、そこに暮らした者でなければ描くことができない「ホームタウンムービー」にも捨てがたい魅力がある。

ハンブルグというと国際金融の中心地で何か取っ付きづらいイメージがあったけれど、この映画を観た後では、そうした思い込みがまったく見当違いだったということが分かった。トルコ系移民であるアキン監督のまなざしによって捉えられたこの港町は、さまざまな民族が暮らし、彼らのエネルギーが渦巻く、ごった煮(ソウル・キッチン)状態のカオスそのものだ。映画の舞台となるのは、ギリシア系ドイツ人が経営する下町のレストラン「ソウル・キッチン」。アラブ系やトルコ系、ギリシア系やアフリカ系などバラエティに富んだ若者たちが夜な夜な集まってくる魂(ソウル)の救済所でもある。

ドイツの全人口約8300万人のうち700万人(9%)が外国人だ。これはアメリカ、ロシアに次いで世界で3番目に外国人の割合が多い国ということだ。なぜ外国人の割合が増えたかというと、戦後、かなりの数の外国人労働者を移民として受け入れてきたからだ。彼らの子孫である2世、3世が次々に生まれて、ドイツは多民族国家へとシフトしていった。ベルリンに次ぐドイツ第二の都市であるハンブルグは特に外国人率が高いと言われている。

こうした街に生まれ育ったアキン監督には当然のことながら、トルコ系以外の友人たちも多い。今回、脚本も担当した主演男優のアダム・ボウスドウコス(ギリシア系)もアキン監督の幼馴染。二人でわいわいやりながら、楽しそうにロケハンをしている様子が目に浮かんでくる。シーンの背景となるハンブルグの表情が一つひとつとても丁寧に描かれているのは、この街に対する愛情が半端じゃないからだ。そうした意味で、この映画は、路地裏の隅々までを熟知していないと撮れない究極の「ジモッチー・シネマ」だとも言えるだろう。

『愛より強く』でベルリン国際映画祭グランプリ、『そして、私たちは愛に帰る』でカンヌ国際映画祭脚本賞、そして『ソウル・キッチン』で2008年ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・ヤングシネマ賞をダブル受賞し、36歳で世界の三大映画祭を制覇したアキン監督。若くして巨匠になったからと言って、絶対にビバリーヒルズになんて住まないでね。(ロニ蔵)


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