こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

Archive for the ‘society’ Category

ある朝のテレビ番組で「子どものしつけに、ある程度の体罰は許されるか」というテーマで討論が行われていた。最近、しつけを理由に子どもを虐待する、あるいは過剰な体罰により子どもを死に至らしめる残虐な行為が目につく。しかし、被害者の両親は口をそろえて「体罰ではなくしつけのつもりだった」と答える。そもそも、しつけという理由で体罰は許されるのであろうか?そこが議論の焦点となっていた。

番組に参加していた育児専門家によると、答えは「No」だ。幼すぎてまだ言葉をうまく理解できない幼児であれ、聞き分けの悪い子どもであっても、言葉で説明して分からせることが重要である、と説いた。そして、決して体罰に頼ってはいけないということを強く主張していた。その理由として、子どもは体罰を受けることで「自分が悪いことをしたから親が手を上げたのだ」と納得するのではなく、ただ「痛い」という感覚しか覚えていないのだそうだ。「なぜ自分は親に叩かれたのか」その疑問だけが残り、また同じことを繰り返してしまう。

番組の中盤では、その「体罰」を法律で禁止している国が紹介されていた。福祉・教育分野で最先端をいく北欧の国、スウェーデンだ。1979年、スウェーデンでは世界に先駆けて体罰禁止の法律が生まれた。きっかけは、1970年代半ばに起こった事件だった。義理の父親による暴力で、子どもが殺害されたのだ。日本では、残念ながらこの手の事件はあとを絶たない。しかし、スウェーデンではこの事件をきっかけに、国全体が立ち上がり、政府の体罰を禁止する啓発キャンペーンやメディアでの討論が過熱。この事件が起こる前の1960年頃は、スウェーデンでも、体罰支持派が過半数以上と、体罰に肯定的な風潮があったが、この法律の制定をきっかけに、今では社会的にも「体罰はいかなる理由があっても許してはならない」という考えが根付いている。

しかし、法律ができただけで体罰がなくなるわけではもちろんない。行政や社会のサポートが行き届いているから、母親、父親の負担が軽減されるのだ。スウェーデンでは、「子どもは親が育てる」という感覚はなく、例えば親戚や友人といった親以外も巻き込んで「みんなで育てる」という意識が強い。また、育児専門家を家庭に訪問させるサービスがあり、誰でも子育てに関する悩み相談や、アドバイスを受けることができる。もちろん無料だし、訪問滞在時間の制限もない。さらに、スウェーデンの街を歩けば(この光景もたった30年前は大変珍しいものだったのだが)父親が乳母車を引いている風景をよく目にする。男性も育児に積極的なのだ。そのおかげで母親の負担も軽減され、女性の社会進出も今では当たり前。また、お店やカフェなどの公共の場でも、乳母車を引いた親が利用しやすいように、乳母車が通るスペースを意識した設計にするなど、細かい気配りが行き届いている。

とは言っても「日本とスウェーデンとはお国柄も違うから、日本でそれをやるのは無理」というのが日本人の本音かもしれない。実際子育てをする母親からは「スウェーデンの環境は理想だが、ここは日本。ありえない発想だ」。「叩かないようにしたいが、どうしても言うことを聞かないのでついつい手を上げてしまう」。「体罰でも愛情があれば問題ないのでは?」という意見が目立つ。

ただ、スウェーデンの「子どもはみんなで育てる」という意識は、実は昔の日本では当たり前だったことを忘れてはならない。少なくとも自分の父親、母親の時代は、年長者が下の子の面倒を見たり、ご近所さんが子どもを預かったりするのが常識であった。しかし、核家族化が進み、近所づきあいも減り、子育ての負担は両親に重くのしかかってしまっているが現状。スウェーデンの事例が理想というのであれば、もう一度古き良き時代の日本に立ち返ってみてもいいのかもしれない。(さくら)

[URL]
スウェーデンで浸透している「叩かない子育て」は日本で実現できるか?
http://www.kosodate.co.jp/miku/vol24/10_01.html

体罰を全面禁止している国一覧(総務省資料)
http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/working-team/k_4/pdf/ss1.pdf

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9月30日に、経済広報センターと日独センターの共催でシンポジウム「日本再建~変貌する国際関係への視点も含めて~」が開催された。ロルフ・ヘンペルマン・ドイツ連邦議会議員、植田隆子・国際基督教大学教授による基調講演のほか、知日派のドイツ人ジャーナリストによるプレゼンやディスカッションで、日本の何が語られるのかというのが私の関心ごとだった。

エネルギー・経済政策専門のヘンペルマン議員からは、東日本大震災後の今、政府の素早い行動が必要との意見が出され、問題解決が早ければ早いほど、国際社会での評価が上がる点が強調された。また、復興のためには「連帯感」がキーとなる話がなされた。東西ドイツ統一にあたっては「連帯税」が導入され、東ドイツで使うお金を国民から回収してきた。ドイツはまた積極的にEU設立に関わってきた。戦後ドイツは国際市場やEUの枠組みによって復興が前進してきたため、ここでも「連帯」がキーワードだった。

東日本大震災を受けて、脱原発の路線をとったドイツは、2010年、15年、20年という5年ごとの区切りにおいて、どのくらい再生可能エネルギーに代替できるのかという課題が待っているという。

ジャーナリストの方々からは、今の日本における議論の必要性が強調された。ドイツにおける「環境問題」は、エネルギー業界における独占市場と政府の力関係のことまでを含んで民主主義に対する問いかけでもあるという。日本においても、一人ひとりが現状の問題点について考え、社会とコミュニケーションを図っていくこと、またメディアも議論のたたき台になる話題を提起していくべきだと指摘された。市民社会の代替機能を果たし得るソーシャルメディアによって伝統的なメディアにはチャンスとリスクが共存しているが、はたして未来はどのようになっていくのだろうか。(くるみ)

【リンク】
日独センター
http://www.jdzb.de/

ドイツのフリードリヒ・エーベルト財団(FES)をご存じだろうか?
新聞社がドイツに関する特集を組む時などに、このシンクタンクの調査結果が引用されることがあるので、名前ぐらいは知っている人がいるかもしれない。

日本での知名度はあまりないかもしれないが、ヨーロッパでは知らない人がいないくらい有名なシンクタンクだ。ボンとベルリンに本部があり、100カ国を超える国々で活躍するドイツで最大の政治系財団である。毎年、3000件を数える教育プログラムやシンポジウムが開催され、ドイツ国内だけでも20万人以上が参加している。

財団名にもなっているフリードリヒ・エーベルトという人は、ドイツ初の民主的な選挙で大統領となった政治家。馬具職人の修行中に労働組合活動に身を投じ、国家の最高指導者にまで登りつめた立志伝中の人物である。FESは、ドイツ社会民主党の党首だった彼の政治的な意志を継いで1925年に設立。ナチスに一時活動を禁止されたが1947年に再興され、現在に至るまで社会民主主義を守るための活動を行ってきた。

東京事務所は1967年に開設され、「国際対話」をメインテーマに日独対話の促進に貢献してきた。昨年に行われた興味深いシンポジウムを紹介すると、「政治、経済、文化から探るヨーロッパと日本の女性のエンパワーメントの挑戦と可能性」や「日独関係史における相互認識:想像、イメージ、ステレオタイプ」などがある。
今年は、エネルギー政策に関する日独対話を6月に行っている。FES では3年前からこのテーマに取り組んできたが、3.11を受けて「福島原発事故後の原子力の未来」というシンポジウムを開催した。10月には独仏歴史教科書や日中韓3か国共通の歴史教材などの国際教科書について話し合う会議や、3.11後の報道や危機管理のあり方を探るシンポジウムが開催される予定だ。
現在は日独交流150周年で様々なイベントが行われているが、これを機にFESのシンポジウムやワークショップなどに参加してみたらどうだろうか。(ロニ蔵)

フリードリヒ・エーベルト財団
http://www.fes-japan.org/?page_id=977&lang=ja

ロンドンで6日夜に発生し、バーミンガムやリバプール、マンチェスターにまで拡大した若者の暴動。フランス人なら誰しも、全国の都市郊外に暴力が吹き荒れた2005年11月を思い出さずにはいられない。

このときも、発端は警官に追われた移民家庭出身の若者が死亡する事件だった。暴動はパリ郊外ではじまり、やがて地方都市の郊外へと飛び火。おもに路上に駐車した自動車が放火のターゲットにされ、9000台以上が燃やされた。沈静化するまでにほぼ3週間を要したが、警察が「平常通り」と宣言した夜に放火された車の数は98台だった。つまり、一晩に百台くらいの自動車に火がつけられるのは「日常」だったのだ。 

 当時は、海外のメディアがこぞってフランスの都市郊外の「ゲットー化」を指摘した。お隣のイギリスも同様で、そのときはフランスと比較して、自国の移民統合政策が成功していることを暗に誇るような書き方もあった。

古くからイギリスに対抗心を抱くフランスだけに、今回はメディアもここぞとばかりに反撃するのだろうかと思い、ル・モンド紙の社説を見てみた。

同紙は、暴力の急激な連鎖反応という「見かけは似ている」が、背景は「まったく同じとは言えない」と指摘する。フランスでは郊外のもっとも荒廃が進んだ地区で若者が暴発したのに対し、今回のイギリスの場合は、多様な民族、社会階層の住民が混在する地区だった。貧困層と富裕層が共生≪しているかのように見えた≫地区で、格差という現実が「残酷なまでに白日の下にさらされた」のが今回の事件だったというわけだ。

もちろん2つの暴動には、共通の根がある。どちらも「社会の落ちこぼれ」の反逆であり、その≪社会≫とは、もはや彼らに居場所も未来も与えることができなくなっている。家庭、学校、社会から見放された彼らに、「失うものなど何もない」のだ。

そしてル・モンドは、2つの国の政府がとった対応も同様に場当たり的、と嘆く。政治家たちは「法と秩序を守る」ことばかりを優先した。少なくともそのようなレトリックを用いた。「これは単に若者の非行問題のエスカレートである」と片付け、治安の強化に邁進するならば、問題の根を取り除いたことにはならない。暴動から6年近くを経て、いまなお状況に大きな改善が見られないフランスならではの指摘と言えるだろう。
(ル・ジュスティシエ)

〔CC : A.J.〕 2005年11月2日深夜から3日未明にかけて放火された自動車(パリ郊外セーヴル市)

 

【参考記事】
Le Monde, « Tottenham-Clichy, les révoltés du “no future” »

デンマーク映画界の鬼才で「ドグマ95」の創設メンバーでもあるトマス・ヴィンターベア(Thomas Vinterberg)監督の最新作『光のほうへ(Submarino』を先日鑑賞した。

この映画は、福祉先進国で国民幸福度第一位の国として知られるデンマークの「闇」を映し出した作品となっている。主人公はシングルマザーの家庭で育った兄弟。二人にはまだ生まれて間もない末の弟がいた。母親はアルコール依存症で、育児を放棄し定職にもつかず、文字通り家は荒れ放題だった。そんな母親に代わって、幼い弟に粉ミルクを飲ませるなど献身的に世話をする兄弟。だがある日、二人が目を離した数時間の間に、赤ん坊はベットの上で突然息をひきとってしまう。

十数年後、大人になった兄弟は、お互い連絡も取らず、それぞれ別の場所で生活をしていた。兄は刑務所から出所したばかりで、臨時宿泊施設に住み、ただひたすら体を鍛える日々を送っていた。一方弟は、男一人で息子を育てているのだが、薬物依存から抜け出せずにやがて深みにはまっていく…

幼い頃に起きた事件を封印するかのように、兄弟は互いに接触することを拒み、過去から目をそらす。その痛々しい姿が全編を通して伝わってくる。

コペンハーゲンの郊外に聳え立つグルントヴィークス教会

OECD加盟国の中でも貧困率は最も低く、貧富格差も少ないデンマークだが、この映画のように、「アルコール依存症」や「虐待・暴力」といった「社会の闇」に真っ向勝負した作品が多いのは、ある意味デンマーク映画の特徴と言っていいだろう。実際、私が昨年の夏、デンマークのコペンハーゲンを訪れた時も、「幸福な国」という先入観があったため目に入らなかったからなのか、街全体を見渡しても、貧困層が住むような地域があるようには見受けられなかった。

しかし一般の人々の様子を観察すると、そこまで裕福といった感じはなく、街行く人の表情からは「幸せいっぱい」といった明るい印象はあまり伝わってこなかった。むしろ、終始「無表情だった」といったほうが表現としては当てはまるのかもしれない。

とは言うものの、あくまでもこれは私の主観であるため、見る人によっては、それでも「世界一幸福な国」に映るのかもしれない。しかし、国内外の社会問題を真正面から取り上げ、その解決のために、自分たちはどう向き合うべきかを常に問いつづけるのがデンマーク人の特徴でもあると感じた。またそれは「幸福」の裏で隠れてしまいがちな天井のアーチが連なる独特の内装「闇」をあえてしっかりと見つめていこうとしている現われでもある。そういった常に社会に警鐘を鳴らし続けていく姿勢も、実はデンマーク人の国民性だったりする。

 余談ではあるが、映画のラストに出てきた教会は、昨年、デンマークの旅行中に出会った建物の中でも特に印象に残っている教会だ。実際足を踏み入れてみたのだが、とても厳粛な気持ちになれたし、心地よい光に包まれ、不思議と心が落ち着いていく感覚を覚えた。映画のラストシーンにふさわしい場所だと、妙に納得してしまった。(さくら)

 日本では「なでしこブーム」がまだまだつづきそうだが、フランスでも今回のサッカー女子W杯はかつてないほどの注目を集め、人々に大きな感動を与えたようだ。「なでしこジャパン」の快挙にはおよばないものの、フランスは今大会4位と大健闘。非公式で開催された1978年世界選手権での優勝を除けば、90年におよぶフランス女子サッカーの歴史で最高の成績を記録した。

 準決勝フランス―アメリカ戦(7月13日)の中継は、ピーク時でおよそ320万人が視聴したという。これはこれまでの記録のほぼ2倍。試合結果を報じたインターネットのニュース記事にもユーザーのコメントが多く寄せられ、「ひさびさにサッカー本来の興奮を味わった」「感動した」といった、試合そのものの面白さや女子選手たちのひたむきなプレーを賞賛する声が目立つ。

  こうした反応はここ数年の「男子」サッカーに対する失望の裏返しといえる。誰もが、選手同士の罵り合い、審判への悪態、危険なタックル、シミュレーション(相手からファウルを受けたように見せかけること)などにウンザリしていたのだ。

 加えてフランス人は、昨年のW杯南ア大会で大きな幻滅を味わっていた。ハーフタイムの控室で選手が監督を罵倒、その「教育上よろしくない」文句をスポーツ紙が一面見出しですっぱ抜き、選手はチームから追放、それに反発したチームメイト全員が練習をボイコット…。晴れの舞台で自国代表が見せた前代未聞の醜態に、国民は「フランスが世界中の笑いものになった」と憤慨した。

 もともとサッカー選手は、人気者の宿命で、注目を浴びるとともに、批判の標的にもなりやすい。フランスでトッププレーヤーになると、ほとんどがより高いステータスを求めて海外の有力クラブへと移籍する。もちろん報酬も大幅にアップする。スペインやイギリスは税金の面でもかなり有利だ。それが国内のサポーターの目には「裏切り」、「カネ目当て」、「スター気取り」と映るところがある。

 フランス代表の試合が国内(とくにパリ郊外のスタッド・ド・フランス)で行われると、観客はこうしたスター選手たちに容赦ないヤジを浴びせる。選手たちが自国サポーターへの愛情を失ってしまうとしても無理はない。マスコミへの態度も頑なになり、マスコミは何かあれば選手をこっぴどく叩く。フランス社会が抱える問題の縮図のような憎悪の悪循環が見える。   

いまや女の子も将来の夢はサッカー選手?

  一方で女子選手たちは、そこまで厳しい批判の目にさらされず、国民の高すぎる期待を背負うこともなくサッカーに集中できるのだから、ある意味では幸せといえるかもしれない。しかし、男子にくらべて著しく関心の低い女子サッカーの発展に向けて、涙ぐましい努力が行われてきたのも確かだ。 

  女子W杯の開催を控えた昨年は、仏サッカー連盟がプロモーションの一環として「ワンダーブラ」で名を馳せたモデルのアドリアナ・カランブー(当時は元フランス代表クリスチャン・カランブー夫人、現在は離婚)を起用、選手や審判の「コスプレ」をさせる「セクシーCM」で注目度アップを図った。さらには、選手自身がヌードになって、話題集めに文字通り「ひと肌脱ぐ」なんてこともあった。

 それが今回は、ピッチでのプレーそれ自体で、男たちをもうならせた。W杯南ア大会における失態で、男子の代表チームはボーナス辞退を迫られたが、その分をフランスの汚名返上に貢献した女子選手たちに支給したら?という声も出ているほどだ。(ジダニーニョ)

 

女子サッカーのプロモーション・サイト(フランスサッカー連盟)
http://www.fff.fr/footballaufeminin/

  • In: Country | Denmark | movie | society
  • Comments Off on デンマーク映画『未来を生きる君たちへ』 Danish Film “In a Better World” Looks at How We Can Live Without Hatred

今年2月におこなわれた第83回アカデミー賞授賞式で、外国語映画賞を受賞した、デンマーク映画『未来を生きる君たちへ(In a Better World)』が、日本でもこの夏公開される予定だ。

以前、筆者のブログでも紹介したが、監督は、『アフター・ウェディング(After the Wedding)』(2007)や『しあわせな孤独(Open Hearts)』(2002)など、国内外で多くの賞を受賞しているスザンネ・ビア。今回も、現代社会に渦巻く「善」と「悪」という微妙な境界線を通して、その先に見える本質とは何かを、観客に投げかける作品となっているようだ。

ストーリーは、「暴力」と「復讐」(原題はスウェーデン語で「復讐 “Hævnen”」を意味する)がテーマとなっている。今、世界で起こっている戦争は、アフガニスタンにせよ、イラク戦争にせよ、「復讐」という2文字が根底にある。「復讐」は、また更なる「復讐」を生むだけということを知っていながら、人々は、いつの時代も復讐劇を繰り返す。

映画は、主人公の子どもが受けるいじめや、アフリカの難民キャンプに従事する医師の苦悩、また、家族間に生じた亀裂といった、複雑に絡み合った人間模様を軸に展開される。一見、それぞれの「復讐」には関連性がないように思えるが、たとえ小さな「復讐」であれ、それが積もり積もると、取り返しの付かない巨大な憎しみへと変わるという点に関しては、ある種の一貫性があるように思う。より良い世界を作るために、われわれはどんな選択をすればよいのか、この作品にはそんなヒントも隠されているに違いない。今から公開が楽しみだ。(さくら)

『未来を生きる君たちへ』(今夏公開予定)
http://www.mirai-ikiru.jp/


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