こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

Posts Tagged ‘Germany

 10月24日、大手商社の双日はドイツの首都ベルリンから南約100kmに位置するミックスドルフでメガソーラー大規模太陽光IPP(独立発電事業者)事業を開始したと発表した。時はまさに、日独友好150周年記念の行事が行われた翌日のことだ。双日が現地で設立した「ソーラーパークミックスドルフ発電所」は、約80ヘクタールの土地に、太陽光パネルを約10万枚敷き詰める大規模発電所で、今年7月末に完工し、同月から稼働を開始している。総事業費は5,700万ユーロ(約63億円)、年間発電能力は24メガワットと、ドイツ最大クラスのメガソーラー事業となるそうだ。

 競争の激しいこの分野だが、ドイツは2008年、世界の太陽光市場の42%を占めており、Qセルズという世界最大の太陽電池メーカーを有している。元来、経済規模が大きいため、規模の経済が働きやすい中、これらの成長を促したのは、今日世界約50か国に広がっている再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT:Feed-In Tariff)の原型を1991年には導入し、太陽光発電導入に対し長期的で着実なインセンティブを与えてきたからに他ならない。FITは単に導入量を増やし、システム価格を引き下げるだけでなく、技術革新も促してきた。BSW-Solar(連邦太陽光発電工業協会)では、2012年には家庭用電力料金と太陽光発電システムの発電コストが等しくなる、いわゆるグリッドパリティを達成し、2013年以降さらに下がり続け、2017年以降は財政支援がなくても、他の動力源に対して優位に発電所を建設し経営できると発表している。昨今の経済情勢がどれだけ影響するかは、いまだ予断を許さない状況だが、一歩一歩着実に再生可能エネルギーによる国家運営に進んでいるといえよう。

 一方で、IEA(国際エネルギー機関)から政策変更を勧告もされている。つまり、FITによる買い取りで生じた補助金の総額は、雪だるま式に増加し、後々の国家財政を圧迫する要因となるからである。実際に、スペインでは、あまりに経済合理性から乖離した高値の買い取りから、太陽光発電バブルが生じ、弾けてしまった結果、現在、政府保証債権で赤字の穴埋めをする状況に陥っている。デフォルトの危機下にあるスペインでは、これもまた大きな重荷になっていることは容易に想像できる。また、素人目から見ても、ドイツの緯度はスペインよりも高いところにあり、日照時間は短い。それにも関わらず、なぜ太陽光をここまで優遇するのか理解に苦しむところである。ちなみに、今回の双日の事業もFITによるところが大きいことを忘れてはならない。
(ばんどうたろう)

【リンク先】
●日本経済新聞 電子版
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=294837&lindID=5

●Qセルズジャパン株式会社
http://www.q-cells.jp/

●スマートグリッド:太陽光発電のコストダウンはどこまで可能か – IT MONOist
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1108/11/news015.html

経済広報センターと日独センターの共催シンポジウム(9月30日)「日本再建~変貌する国際関係への視点も含めて~」についての続き。

基調講演を行った植田隆子・国際基督教大学教授は、中国が台頭しアジアへの関心が高まる中、かつての日米欧の勢力関係は時代に即しているのかというテーマを提起した。アジア太平洋地域はアメリカの影響が大きいためEUが参入できていないという現状があるが、偶発的な衝突で危機が高まる可能性のあるアジア太平洋地域においては、日米欧の関係は秩序やルール作りに貢献できる点があるとされた。そのために、安全保障対話の場を常設する必要と、その機能を東京に置くことで地域の安定が図られるのではとの結論だった。最後にヘンリー・キッシンジャーが中国の存在を大戦前におけるドイツの台頭になぞらえたことを引用されて話を終わられた。今日の国際関係の類似が過去の世界史の中に見い出せるとするなら、今日との比較事例として大いに参考になるということか。

現場をよく知る方々からの冷静で客観的な意見や指摘が多く出されて、有意義なシンポジウムだったと感じた。(くるみ)

【リンク】
日独センター
http://www.jdzb.de/

9月30日に、経済広報センターと日独センターの共催でシンポジウム「日本再建~変貌する国際関係への視点も含めて~」が開催された。ロルフ・ヘンペルマン・ドイツ連邦議会議員、植田隆子・国際基督教大学教授による基調講演のほか、知日派のドイツ人ジャーナリストによるプレゼンやディスカッションで、日本の何が語られるのかというのが私の関心ごとだった。

エネルギー・経済政策専門のヘンペルマン議員からは、東日本大震災後の今、政府の素早い行動が必要との意見が出され、問題解決が早ければ早いほど、国際社会での評価が上がる点が強調された。また、復興のためには「連帯感」がキーとなる話がなされた。東西ドイツ統一にあたっては「連帯税」が導入され、東ドイツで使うお金を国民から回収してきた。ドイツはまた積極的にEU設立に関わってきた。戦後ドイツは国際市場やEUの枠組みによって復興が前進してきたため、ここでも「連帯」がキーワードだった。

東日本大震災を受けて、脱原発の路線をとったドイツは、2010年、15年、20年という5年ごとの区切りにおいて、どのくらい再生可能エネルギーに代替できるのかという課題が待っているという。

ジャーナリストの方々からは、今の日本における議論の必要性が強調された。ドイツにおける「環境問題」は、エネルギー業界における独占市場と政府の力関係のことまでを含んで民主主義に対する問いかけでもあるという。日本においても、一人ひとりが現状の問題点について考え、社会とコミュニケーションを図っていくこと、またメディアも議論のたたき台になる話題を提起していくべきだと指摘された。市民社会の代替機能を果たし得るソーシャルメディアによって伝統的なメディアにはチャンスとリスクが共存しているが、はたして未来はどのようになっていくのだろうか。(くるみ)

【リンク】
日独センター
http://www.jdzb.de/

『修道院へようこそ 心の安らぎを手にするための11章』を読み、日常の喧騒から離れて、安らかな気持ちになりたいと思いました。この本は、著者の35歳の女性編集者ジモーネ・コーゾックさんが、家族と離れ、日常の喧騒と離れ、ドイツ最古のシトー会のオーバーシェーネンフェルト女子大修道院に滞在したときの体験を綴ったエッセイです。日常の悩みやストレスを乗り越えるために、修道院での日常生活は多くのヒントを与えてくれます。

1700年もの歴史をもつ修道院では、今も祈りや瞑想、労働や食事の日課が定められています。朝5時半の祈りに始まり、午前の労働(庭仕事やパン工場での仕事など)、日に6回の祈り、夜8時半の大沈黙の時間まで、一日の日課が決まっているのです。著者はこの修道院での時間の流れに身をゆだね、自分自身を見つめ、心の安らぎを得るためのヒントを得ます。

心の安らぎは日々の生活の中にも取り入れられます。この一部を紹介すると、一日を瞑想か祈りの時間で始めることで、頭をすっきりさせ集中力を生み出すことができます。また、不快な事柄、やっかいな義務や性に合わない人間などを、一度別の角度から観察すること、夕方に一日を内省すること・・・などなど。私も日々の生活にとりいれてみよう。(モコちゃん)

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0に達する巨大地震で日本各地に未曾有の大被害をもたらした。地震発生以降、世界各国から支援の申し出が相次ぎ、派遣された支援チームが続々と日本に入っている。

 13日には、ドイツの救助チーム41人と救助犬が到着。また、医療人道援助をするドイツのNGO団体「humedica」(フメディカ)の先遣隊も到着し、医療資材を持って現地入りする。
 ドイツで災害救助を行うのは連邦技術支援庁(Technisches Hilfswerk: THW)の救助チーム。連邦制を取るドイツにおいて、THWは全国展開が可能な数少ない連邦組織だ。災害発生時の避難誘導や人命救助ばかりでなく、専門技術能力を生かして、被災住民の救出、建物の補強、仮設住宅の建設、橋の設置、堤防補強、電気の供給、排水などを行っている。

 隊員は、そのほとんどが、ボランティア救援員で、研修参加を含め年間120時間の勤務が義務づけられている。基礎研修終了後は、専門研修を受けて技術をみがいている。海外で大規模の災害が発生した際には、人道援助に派遣される。

 スマトラ沖地震で発生した津波の際もバンダアチェに派遣され、津波発生直後から、毎日水を浄水し、飲料水として供給。さらに、バンダアチェで一番大きな総合病院、ザイナル・アビリン病院の水道管や電気の復旧作業にもあたっていた。

 一方、フメディカは医療人道援助を行う団体で、2005年にパキスタン、2010年にはハイチで発生した地震にも医師を派遣した。来日した先遣隊は医師、看護師、コーディネーターら計6人で、地震発生のわずか4時間後に支援を決め、登録している約1000人の医療関係者にメールで参加を募った。手術用品や医薬品、ガーゼなど段ボール約10箱分の資材を持ち込み被災地に入り、本部と情報交換し、今後の支援予定を決める。
 こうした各国の素早い支援に心より感謝したい。(酒バラ)

ドイツ大使館のホームページ
http://www.tokyo.diplo.de/Vertretung/tokyo/ja/Startseite.html

 通勤途中に通るお店で、いつも行列ができているお菓子屋があります。中をのぞくと大きなバウムクーヘンが木の棒のまわりをクルクル回っている。しっとりした食感のバウムクーヘンを紅茶とともにいただくのが、私は好きです。

 バウムクーヘンで有名なお菓子屋ユーハイムによると、日本で初めてバウムクーヘンを焼いたのは、ユーハイムの創始者、カール・ユーハイムさんとのこと。中国の青島でカールさんは菓子店を経営していましたが、第一次世界大戦で日本が青島に進出した際、日本に連れてこられたそうです。1919年カールさんは、広島県の似島(にのしま)収容所での作品展覧会で、バウムクーヘンを焼いて出品しました。これが日本最初のバウムクーヘンでした。カールさんは解放後に日本で菓子店を開店、バウムクーヘンを作り続けました。

 ちなみに、バウムクーヘンはドイツ語で「木のお菓子」を意味するそうです。焼きあがった層が木の年輪を連想させるというのが一説で、ドイツの菓子職人はバウムクーヘンを上手に作れてはじめて一人前のお菓子職人といわれるそうです。

今年2011年は、日本・プロイセン修好通商条約の締結からちょうど150年目にあたる「日独交流150周年」です。ドイツ人から伝わったバウムクーヘンは、日本人、ドイツ人にとってほっと一息つけるお菓子です。(モコちゃん)

 喉元過ぎると熱さを忘れてしまうのが人間の常だけれど、まさにその通りで、だんだん寒くなってくると、昨年の夏の暑さのことも次第に忘れてくる。しかし僕にとって忘れられないことが一つある。

風格さえも感じさせる初代の「mi adidas」

 7月下旬、テニスの試合をしていた時だ。その日は梅雨明けしたばかりで、あの暑い夏が始まった頃だった。プレイ中に、足元がおぼつかなくなった。うだるような暑さで、足の筋肉がおかしくなったのかと思ったが、よく見るとテニスシューズのアウトソール(靴底)が剥がれてしまっている。コート面の熱によってソウルを固定しているラバーが溶け出してしまったのかもしれない。仕方なく、予備の靴に換えてプレイを続行したが、なんとこれも同じような症状に見舞われてしまった。これまでこんなことがなかったからショックだった。

 その次の週以降も猛暑は続き、予備の靴は一足になってしまった。この靴はかなり古いもので、おそらくこれから続く暑さで同じような症状が現れてくるのではないかと心配だった。しかし、この靴はかなりタフで、あの夏の酷暑をなんとか乗り切ってしまった。

 このテニスシューズが、ドイツのスポーツブランド・アディダスの「mi adidas」だった。夏の暑さでいかれてしまった靴たちはアディダスとは違うメーカーで、ファッション性に優れている点を評価してこれまで購入してきた。しかし真夏の経験が、僕をアディダス党に回帰させた。もう一足のバックアップ・シューズを求めて、「アディダス・パフォーマンスセンター渋谷」へ駆け込んだのは言うまでもない。

 「mi adidas」は注文してから3週間ぐらいかかる、セミ・オーダーメイドのシューズだ。足のサイズを計測して、自分の好きなデザインを選べる。ショップの人と画面で確認しながら、ベースカラーやストライプカラー、靴ひもの色やアウトソールなど十数種のチョイスによって、自分だけのオリジナルシューズに仕上げていく。最後に両方の靴の踵にネームまで入れてもらえる(ロニ蔵だからRONNIEと入れてしまった!)。

2代目「mi adidas」

 2代目「mi adidas」は、靴の存在を忘れてしまうほど履き心地がよく、テニスのレベルが一段上がったような錯覚を覚えてしまった。テニスは「手ニス」ではなくて、「足ニス」だとはよく言われること。このシューズのお陰で試合成績が抜群によくなったとは言えないけれど、以前よりもドロップショットを拾えるようになったのだけは確かだ。(ロニ蔵)


自由で活発な発言を歓迎します。

ただし書き込みをする際には、以下の行為は禁じられております。
・差別的なコメント
・フォーラムを荒らすような行為
・スパムメッセージ

このフォーラムの内容は欧州連合としての見解を示したものではありません。

April 2017
M T W T F S S
« Jan    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

Blog Stats

  • 272,631 hits