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ヴィータウタス・ランズベルギス氏が11月に来日した。1990年代、ソ連からの独立運動を指導したリトアニアのサユディス運動の中心メンバーであり、その後同国最高会議(国会)議長を務め、現在は欧州議会があるストラスブールでリトアニア代表を務める。一方で、彼は音楽家でもある。リトアニアを代表する作曲家で画家のチュルリョーニス(1875~1911)の研究者で、しかも彼自身がピアノの演奏者だ。

1932年生まれの77歳だが、多忙な毎日。今日、そんな中での来日だった。時に茶目っ気があり、時にとても鋭い眼差しで話をする本人を目の前に、政治家としての話が聞けただけでなく、彼の演奏するピアノの繊細な音色まで聴けたのはとても幸運だった。

記者会見の席でランズベルギス氏は、冷戦終結にもつながった民主化の流れの一つであるバルト三国の「人間の鎖」について触れた。こうした動きは、民主化を求めていた共産圏の国々だけでなく、モスクワの民主化運動にも力を与え、帝国(ソ連邦)を崩壊させた。

だが、20年経った今日、自由を取り戻した国々も経済危機の影響を受け、社会主義時代を懐かしむ人々もいる。ランズベルギス氏は「20年とは長い時間ではない。人々の気持ちの動きを注意深く見ていかなければならない」と話した。

レクチャー・コンサートでランズベルギス氏は、チュルリョーニスが活動をしていた20世紀初頭の背景、そして彼の芸術に対する姿勢について講演した。モデレーターを務めた沼野充義東大教授は最後に、恐らく誰もが聞きたかった質問を投げた。音楽家と政治家はどう両立できるのか。ランズベルギス氏の答えは単純明快であった。「人のために働くこと、説得し伝えること、そして人の話を聴くこと、これらは音楽家であろうと政治家であろうと同じなのだ」と。(みかん)

駐日リトアニア大使館の案内ページ
http://jp.mfa.lt/index.php?-875580666

リトアニアやチュルリョーニスにまつわるブログ 
http://ciurlionis.exblog.jp/13023632/

時事通信報道
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200911/2009112000738

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リトアニアの名が初めて書物に登場したのは、1009年に出されたドイツの歴史書『クヴェトリンブルク年代記』(複製がドレスデンに現存)で、「リトアニアの国境」という記載が見られます。つまり、2009年はこの書の千年紀に当たるため、国内外でリトアニアの歴史や文化を見直し、紹介する数々の記念行事が行われています。

最も大きな事業の一つは、それまで遺跡となっていたヴィリニュスの宮殿を復元し、博物館として開館したこと。この宮殿は13世紀から17世紀にかけて国政の中心地であったことからリトアニアの主権の象徴であり、最近は考古学研究の対象になり、文化財の修復と保存が続けられていました。

「ミンドウガス大公戴冠記念日」としてリトアニアの建国記念日となっている7月6日に、この新宮殿の開館式典が行われ、今後はリトアニアの歴史、文化、芸術を伝える場としての役割を担うこととなります。次回ヴィリニュスを訪れる際は、是非とも博物館となったこの宮殿に立ち寄ってみたいものです。

国外では「リトアニア:その文化と歴史」と題された展覧会が7カ国語で準備され、欧州各地を巡回しています。(みかん)

リトアニア千年紀ウェブサイト(英語・リトアニア語・ドイツ語・ロシア語・ポーランド語)
http://www.lietuvai1000.lt/index.en.htm

宮殿の復元について(英語・リトアニア語・ロシア語)
http://www.lietuvospilys.lt/index-en.htm

岡澤憲芙/村井誠人 編 『北欧世界のことばと文化』(成文堂、2007年)にリトアニアの歴史・文化を扱った章があります。
http://www.seibundoh.co.jp/

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  • Comments Off on 欧州文化首都ヴィリニュス The Lithuanian Capital of Vilnius
Lithuanian State Department of Tourism/www.LithuanianTravel.lt

Lithuanian State Department of Tourism/www.LithuanianTravel.lt

この夏、リトアニアの首都ヴィリニュスで、市民が日本を身近に感じることができるようになりました。日本の現代アート展や日本の地方の風景を撮影した写真展が開かれているからです。ヴィリニュスは今年「欧州文化都市」に選ばれました。EUの相互理解を深めることを目的に、一年間を通して芸術文化に関する行事を開催していますが、これを機に日本文化もリトアニアに紹介されているというわけです。

リトアニアのコンテンポラリー・アート・センターでは8月16日まで、草間彌生さん、さわひらきさん等の日本の現代アート作品が初めて展示されています。写真展「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥディ」もこの夏、同センターで開催されています。

過去10年間で45人のヨーロッパ人写真家が日本の30県を訪れ、その土地の人々や風景、日常生活を撮影してきました。今回は新潟県を撮影したヨーロッパ人写真家による作品展示です。

日本の俳句をテーマにした行事もあります。ヴィリニュスをテーマにした俳句を一般の人から一年間を通して募集し、応募が寄せられた作品は、新聞やテレビなどのメディアで取り上げられるそうです。

リトアニアには俳句愛好家が割といて、俳句の朗読会等も開かれているとのこと。中世の面影残すヴィリニュスで日本の俳句が披露されるなんて、なんだか不思議ですね。(モコちゃん)

駐日リトアニア大使館
http://jp.mfa.lt/index.php?75243215

リトアニアでの子育て
http://litabi.blogspot.com/

リトアニアの首都ヴィリニュスは、東ヨーロッパで最も古い旧市街の一つとして世界遺産に登録されている。18世紀以降も北ヨーロッパとロシアを結ぶ交通の要衝として栄えた街だ。

5月に行われたリトアニアの大統領選で、欧州委員を務めるダリア・グリバウスカイテ候補が当選し、7月から5年間リトアニア共和国の国家元首に就任する。女性で大統領になるのは同氏が初めて。

リトアニアは、20世紀半ばからソ連の一共和国となっていたが、1990年に独立を回復し、2004年に欧州連合に加盟した。次期大統領は欧州委員の財務計画、予算担当として、欧州委員会本部のブリュッセルに5年間勤めた。

ダリア・グリバウスカイテ女史は、かつてリトアニアの元外務副大臣としてリトアニアのEU加盟交渉に加わったほか、財務大臣も歴任した。今後、ロシアとの外交関係改善や、危機的状況にある国内経済の立て直しが期待されている。リトアニア語、英語、ロシア語、フランス語、ポーランド語も操るとのことで、まさにリトアニアのイメージを一新する存在になるのでは?

今年は、国名“リトアニア”がドイツの文書「クヴェトリンブルク年代記」に初めて記載されてから1000年目の記念年に当たる。新しいミレニアムを迎えるリトアニアに注目しよう。(くるみ)

ダリア・グリバウスカイテ欧州委員
http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/union/institution/commission/commissioner/12.html

AFPニュース
http://www.afpbb.com/article/politics/2604034/4163659

大相撲の三役に把瑠都(本名=カイド・ホーヴェルソン)という大型力士がいることはよく知られているが、彼の出身国エストニアがどこにあるのかは、若いみなさんはほとんど知らないのでは。欧州大陸の中でも北端に位置し、北海道の3分の2ほどの広さで、人口も約130万人という小国だ。日本とはあまり縁がなさそうなこの国で、なぜ相撲がはやるのだろうか。

小国だから、国民がたしなむスポーツの種類は限られており、その中でも柔道が盛ん。カイド少年は最初、背が高いことからバスケットに熱中したが、高校時代に兄の影響を受けて柔道を始めた。ただ、運命は分からないもの。柔道の恩師になったリホ・ランニックマー氏は、実はエストニアの「相撲の父」と呼ばれるほどの相撲指導者でもあったのだ。

少年は国内の相撲大会で活躍し、それが日本の角界関係者に知られてスカウトされた。日大相撲部で基礎を学んだのち、日大OBでもある尾上親方の部屋に入門した。四股名はもちろん、エストニアがバルト海に面し、ラトビア、リトアニアとともに「バルト3国」と呼ばれていることに由来する。

同国で相撲が普及したわけは、ランニックマー氏の例でも分かるように、指導面で世界的なスポーツである柔道と渾然一体化したことにある。相撲連盟の国内組織もしっかりしており、昨年10月には、人口1万7000人ほどの同国のラグヴェレー県で男女それぞれの世界相撲選手権大会、ジュニア選手権大会が開催された。このラグヴェレーこそ、把瑠都の生まれ故郷だ。

インタビューでは流暢な日本語を使い、人懐っこい笑顔で答える把瑠都。日本人がエストニア国を認識し、好印象を持ち始めたとしたら、間違いなく彼こそ最大の功労者であろう。(日暮らし)

把瑠都について
http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/20060502.htm

個人のニュースサイト
http://sofia-family.main.jp/ht-news-p2.html

広報誌EUROPE
http://www.deljpn.ec.europa.eu/data/current/europe2009winter06.pdf#search

大小さまざまな形の十字架が無数に地面に突き刺さって、一つの山を築いているところがリトアニア北部シャウレイにある。人は「十字架の丘」と呼ぶ。その中に足を踏み入れると、宗教的な感慨がいやがうえにも増して、この民族が背負った歴史の重み、悲しみ、そして祈りの深さがひしひしと迫ってくるという。

十字架の丘の発端はそもそもロシア帝政時代にさかのぼる。1831年、ニコライ1世の圧政に対し蜂起したこの民族は志を遂げられず、多くは処刑されたり、流刑に遭ったりした。彼らへの鎮魂、慰撫の意味から、最初に十字架が立てられた。

したがって、ロシアを引き継いだソ連は軍隊やKGBを動員して、目触りなこの山を何度も焼き払い、ブルドーザーで破壊した。しかし、その都度、夜陰に紛れて十字架は置かれ、そしてその数は増していったという。ドイツ、ロシアなど周辺強国の支配を絶えず受け続けてきた敬虔なカソリックの民のせめてもの抵抗心と矜持の表現方法だったのかも知れない。

第二次大戦中、リトアニア領事館にいた外交官、杉原千畝(ちうね)は、ナチスの迫害を逃れてこの地に脱出してきたユダヤ人難民約6000人のために、「命のビザ」ともいわれる日本通過ビザを書き続け、後年“東洋のシンドラー”と呼ばれた。実は、満州赴任時代に、白系ロシア人女性と最初の結婚をし、ロシア正教会で洗礼を受けている。十字架の重みをよく知っている人だった。

たぶん、杉原はリトアニア赴任後、十字架の丘も訪れたに相違ない。ドイツとの同盟関係からユダヤ人への便宜を図らないよう求める日本政府の訓令を無視して、ビザを書く人道主義に走ったのは、彼が十字架の山に触れて宗教的心情を募らせたから、と推理するのはあながち的外れでもないであろう。(日暮らし)

個人の方の旅行記

http://homepage1.nifty.com/~hasegawa/travelabroad/baltic/lithuania/lithuania.html

TBS「世界遺産」 ヴィルニュス歴史地区(リトアニア)
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20000903/onair.html


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