こんなEU、あんなEU~日常に見るヨーロッパ | Life in the EU

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ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の映画「地下水道」は、ナチスドイツの占領下に立ち上がったパルチザンの悲劇を描いた作品だ。暗闇の下水道の中を逃げ惑う彼らが、最後に探し出した川に繋がる出口は鉄条網で封鎖されており、未来への絶望感を感じさせるそのワンシーンは、数十年たった今でも鮮烈な記憶として残っている。そのワイダ監督が「カティンの森」という最新作を発表した。

1939年、ポーランドはドイツとソ連の両方向から侵略され、ポーランド軍はソ連軍よって武装解除させられる。同軍将兵一万人以上はソ連領内に連行され、翌年、スモレンスク郊外カティンの森で秘密裏に殺害されたのだ。スターリンの命によるもので、将来、彼ら将兵がソ連のポーランド占領の障りになることを恐れた措置だった。

実は、殺害された将校の中に、ワイダ監督の実父も入っていた。つまり、カティンの悲劇を再現したこの映画は、監督自身の体験が色濃く織り込まれている。ワイダ氏は、あるインタビューで、「母親は、父親との別れの時に、金属製のお守りを手渡していた。ずっとその死を知らずに帰りを待っていた」と、生々しい記憶を語った。

皮肉にも、ドイツのソ連侵攻により、両国の不可侵条約は反古にされ、カティンの虐殺はナチスの手によって暴かれた。しかし、ドイツを倒して、戦後ポーランドを属国化したソ連は虐殺の事実を認めようとせず、共産政権になったポーランド指導部も「この事件はナチスによるもの」として、取り合わなかった。

ソ連崩壊後の1992年にロシア政府は、カティンの森に限らず、ポーランド将兵2万2000人弱を数か所で虐殺したことを正式に認めた。ワイダ監督は、「ソ連がやったことを早くから知っていた。ただ、(ソ連の衛星国であったために)40年間、映画で取り上げることはできなかった。権力によって事実が曲げられるようでは、自滅の道をたどるしかない」と、むしろ事実を明らかにできなかった自国の過去を嘆いた。人間の尊厳を追及したワイダ氏の集大成と言うべき映画だ。(日暮らし)

http://www.k4.dion.ne.jp/~skipio/21essay2/Katin-Waida.htm
http://eiga.com/buzz/20091204/25/

先日、私のピアノの先生のサロンコンサートに行ってきました。ショパンの「華麗なる円舞曲」「子犬のワルツ」などのワルツを中心とした演奏でした。来年2010年はショパンの生誕200年にあたります。このポーランドが生んだ偉大なる作曲家をたたえて、日本国内では「ショパンイヤー」として様々な催し物が開かれる予定です。

200年祭を前にまず今年12月、「永遠のショパン」と題された2枚組CDアルバムが発売されました。「ノクターン」「雨だれ」「幻想即興曲」など名曲を収めたアルバム。ショパン・コンクールで優勝したマルタ・アルゲリッチさん、スタニスラフ・ブーニンさんらの演奏が収録されています。

毎年ゴールデンウィーク恒例の東京フォーラムで行われるクラッシック祭り「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン熱狂の日音楽祭2010」では、「ショパンの宇宙」いうテーマで、ショパンが取り上げられます。さらに2月にはショパンイヤー開幕コンサートが開かれ、5月にはショパンの胸像除幕式が東京藝術大学で予定されています。

1810年にポーランドで生まれたフレデリック・ショパンは、8歳の頃から演奏活動を開始し、1831年パリに渡ってからは祖国の地を踏むことなく、1849年に肺結核で亡くなりました。パリではシューマンやリストなど当時のヨーロッパを代表する音楽家と親交を持ち、パリ社交界で人気者となる一方、持病の肺結核と闘いながら生きていました。ショパンに最も影響を与えたと言われる、ジョルジュ・サンドとの燃えるような恋もありました。

そんな波乱に満ちた生涯を過ごしたショパンのピアノ曲が、来年は様々なところで聞けそうです。(モコちゃん)

駐日ポーランド共和国大使館
http://www.tokio.polemb.net/index.php?document=81

ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭2010
http://www.lfj.jp/lfj_report/2009/05/post-506.php

EUの貿易投資促進キャンペーンGateway Programme、デザイン分野の展示・商談会場に足を踏み入れると、見たことのあるペンダントライトが目に入った。これは確かデンマークの照明だったはず。しかし、なぜだかブースはイタリアのランパデザインドットコム。フィンランドの代理店07design代表という肩書を持つ20代の若い女性がその疑問に答えてくれた。

デザイナーがインスピレーションを受けたのは、やはりデンマークのレ・クリントだが、細部は全てオリジナルで特許も取得しているとのこと。素材を変えたり、パーツを重ねることで色の組み合わせを変えたり、光が通る穴を作ったりすることでユニークさを際立たせる。なるほど、そういうことだったのか。

ポーランドのキャフティ・デザイン社も、組み立て式のペンダントライトを展示していた。代表者のやはり20代ぐらいに見える女性は、「あらゆるものからインスピレーションを得て、独自のデザインを作り出している」と話した。例えば、日本の折り紙、1960年代のインテリア、そしてクラシックなものからもヒントを得ているとか(写真)。

デンマークのレーファー+ステアー社は、まるでワイングラスを逆さにしたような美しいフォルムの照明を展示。うっとりと見とれてしまった。「北欧デザインは日本で人気がありますね」と話しかけると、相手はその作品のデザイナー本人で、「北欧では日本のデザインが人気ですよ」と微笑まれた。(みかん)

European Design http://www.europeandesign.jp/ 
(参加ブランドのカタログを見ることができます)
レ・クリント http://www.leklint.dk/
ランパデザインドットコム http://www.lampadesign.com/home.html
キャフティ・デザイン http://www.kafti.com/
(写真)
http://www.flickr.com/photos/27481008@N06/sets/72157622703729121/
レーファー+ステアー http://www.refer-staer.dk/

ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは、1939年9月1日の早朝。つまり、欧州で第二次世界大戦が始まってから、今年で70年目を迎えた。この日は、太平洋戦線の開始である41年12月8日の真珠湾攻撃とともに、歴史に刻まれた日である。

映画「戦場のピアニスト」を見ると、ポーランドに住むユダヤ人がラジオに耳を傾け、ドイツ軍侵攻の情報を必死にとらえようとしている様子が出てくる。そこで、面白いなと感じたのは、この侵攻に対し、同盟国の英仏がすぐにドイツに宣戦布告したため、ユダヤ人らは「ああ、これで戦争はすぐに終わる」とほっとする場面が出てくるところだ。

 結果は、英仏の力はそれほどでもなく、ポーランドはあっという間に席巻され、ドイツ、ソ連によって国土を2分割占領されてしまう。ユダヤ人たちはゲットーに追いやられ、さらには“片道切符”の隔離収容所への道をたどるのだ。

くだんのピアニストは、ゲットーに入るも、収容所行きからはうまく逃れる。そして音楽への思いをずっと抱きながら腹をすかしての逃走劇。最後にナチス将校に見つかってしまうのだが、彼は持っていたピアノのスキルが奏効し、将校によって命が助けられる。シュピルマンという実在の人物をモデルにしたストーリーである。

ところで、ドイツのポーランド侵攻だが、ポーランドが一方的に被害者であったというわけでなく、この事態を招いた歴史的背景も存在する。第一次大戦後のこと。戦争で敗れ弱体化したドイツ、赤色革命直後で力が弱かったソ連という状況をとらえて、ポーランドは両国の領土に侵攻、その一部を奪っている。

ドイツとソ連が不可侵条約を結んでポーランド分割を図ったのは、この復讐の意味もあったのだ。歴史的に欧州は、領土を取ったり、取られたりの繰り返し。陸地に国境線を持たない日本では、この感覚が理解できないから、安全保障の意味も分からない。(日暮らし)

個人の方のホームページ
http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/akd/deupol.html

戦場のピアニストについて
http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/mvsenjoupianist.html

正午のポズナン旧市庁舎時計台

正午のポズナン旧市庁舎時計台

ポーランド第5の都市ポズナンは、昨年COP14の会議開催地となったが、案外知られていない。実は、私がベルリンに滞在していたとき、一番近く列車で旅行できる東欧の観光地がここだった。3時間の旅で、言葉も街並みも食文化も変わる。ヨーロッパ大陸の面白いところだ。

ポズナンは、ポーランドの他の都市と同様、複数の国に支配された歴史がある。18世紀初頭、北方戦争で荒廃した村々の復興のために市が招致して、ドイツ・バイエルン州のバンベルグから貧しいカトリック農民たちが移住してきた。

彼らは地域社会に溶け込んでポーランドを愛する市民となり、その後プロシア軍がドイツ化しようと侵攻してきたときにも激しく抵抗した。ポズナンの繁栄に重要な役割を果たしたこのバンベルグの移民を称え、両手に水桶を持った「バンベルグの娘」の像が旧市庁舎広場に建てられている。

その旧市庁舎広場には、毎日正午になると多くの人が集まってくる。それは、鐘の音とともに旧市庁舎の時計台から2匹のヤギが顔を出すからだ。この仕掛け時計にも言い伝えがある。

時計台は1511年のポズナン州知事のお披露目に合わせて公開された。このとき、祝宴を準備していた料理人はうっかり鹿肉を焦がしてしまい、慌てて代わりの食材にしようとヤギを2匹盗んだのだが、ヤギは市庁舎の時計台に逃げ込んだ。招待客は棚に頭をぶつけたヤギを面白がって見ていた。

州知事はこの騒ぎを喜び、その後時計台に機械仕掛けのヤギ2匹を取り付ける気まぐれな令を出したという。料理人がどうなったのかは謎だが、鞭打ちの刑を受けたという話もあるそうだ。(みかん。写真も)

バンベルガの名のつくホテル Zagroda Bamberska
http://www.zagrodabamberska.pl/ (英語ほか)

2匹のヤギのポーランド伝統料理レストラン Pod Koziolkami
http://www.podkoziolkami.pl/ (英、独、ポーランド語)

ポズナンの街ガイド(英語)
http://www.inyourpocket.com/poland/city/poznan.html

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)が行われた、ポーランド南部のアウシュヴィッツ強制収容所。ポーランド政府はこの施設を残すことで、人類の歴史の中でも、最もいたましい出来事を、ありのままに後世に、また世界中の人々にしっかり伝えようとしている。

約3キロ離れたビルケナウ強制収容所と共に、ポーランド政府は1947年、国立オヒシフィエンチム(アウシュヴィッツのポーランド語読み)博物館をオープンした。今や15言語のパンフレットが置かれている。過去の教訓を世界中の人々知ってもらいたい、という切なる思いが感じられる。

“Arbeit macht Frei(働けば自由になる)”と書かれたアウシュヴィッツ収容所の門。

“Arbeit macht Frei(働けば自由になる)”と書かれたアウシュヴィッツ収容所の門。

現在、アウシュヴィッツ、ビルケナウ両収容所の建物・廃虚群が長年の劣化で崩壊の危機に直面している。155棟のうち、約50棟は天井陥落の危険があり、立ち入り禁止になっている建物も少なくない。ガス室や火葬場跡は解放直前にナチスが壊したままだ。

崩壊の危機を乗り越えるため、博物館は1億2000万ユーロの基金設置を求め、各国に協力要請を始めた。建築専門家は建て直しを勧告したが、「本物だからこそ、真のメッセージを伝えられる」とツィビンスキ館長は強調する。近年はアジアからの来訪者も増え、「地球の人々にとっても、人間のあり方を考える場であり続けてほしい」と話しているという。(マイケル尊王寺)

国立オヒシフィエンチム博物館公式サイト(英語サイト)
http://en.auschwitz.org.pl/m/

アウシュビッツ徹底ガイド(写真など、詳しい解説あり)
http://umeda-hankyu.jp/BabyKidsGirls/maternity/2009/02/20090214_130000_10137.html

アウシュヴィッツ平和博物館(福島県・白河市にある「市民による手作りミュージアム」)
http://www.am-j.or.jp/index2.htm

今年は日本とポーランドの国交樹立90周年。伝統的な親日国だが、日本人はそのことをあまり知らない。何よりもポーランドを支配していた帝政ロシアを日露戦争で破った日本への好感度は今も脈々と続いている。

その日露戦争で、日本は捕虜となったロシア兵として戦ったポーランド人捕虜4600人を、松山で終戦まで手厚く待遇した。恩義を忘れないポーランド軍を率いていたユゼフ・ビウツキ将軍は、独立ポーランドの初代国家元首となった。

有名なのは、第2次世界大戦で“命のビザ”をユダヤ系ポーランド人に発給し続けた日本人外交官・杉原千畝氏。1940年、杉原氏が発給したビザでナチスの迫害を逃れたポーランド人は日本経由で米国へ脱出した。その数約6000人。

ところで、ポーランド観光は欧米人に人気が高いが、日本ではあまりツアーに組まれない。イメージの問題か、宣伝のせいなのか。でも、ポーランド国内での日本研究、日本語教育は盛んだ。1994年には浮世絵やマンガなどを紹介する「日本美術・技術センター」が旧都クラクフに設立されている。その通称は「マンガ・センター」。世界的な映画監督アンジェイ・ワイダ氏も、葛飾北斎など浮世絵の大ファンという。

2008年12月には、カチンスキ大統領が来日、国交樹立90周年の今年は数多くの要人来日が計画されている。広さは日本の五分の4程度。ポーランドとは「平原の国」という意味。1999年に北大西洋条約機構(NATO)、2004年にEUに加盟している。EU加盟の東欧諸国12カ国の中では最大の人口と経済規模を持つ。(丸の内太郎)

ポーランド
http://www.tokio.polemb.net/
http://www.poland.travel/ja/pot_front_page

ワイダ監督
http://www.oeff.jp/article1082.html

杉原千畝
http://www.youtube.com/watch?v=lllbzyeUa6Q


自由で活発な発言を歓迎します。

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