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左から白須純氏、ジョアナ・アブランシェス・ピント氏、ジョアン・ペドロ・ザナッティ駐日ポルトガル大使(2011年2月3日)

「青と白の組み合わせを美術絵画に昇華させたポルトガルタイル壁画に、私は深く魅了されます」
駐日ポルトガル大使公邸で行われたジョアナ・アブランシェス・ピント賞授賞式の受賞挨拶で、第1回の同賞を受賞した美術家の白須純氏はこのように述べた。この賞は、大使館の副領事として長年勤務してこられたジョアナ・アブランシェス・ピント氏の寄付金を元に、芸術の分野で両国の相互理解の発展に貢献した人に贈られる。

恩師バルトロメオ・ドスサントス氏との共同制作作品。この壁画は、1543年にポルトガル人が種子島に漂着してから450周年の日本ポルトガル修好の記念として1993年にリスボン市地下鉄公社から帝都高速度交通営団に寄贈されたもの(東京メトロ日本橋駅)

私が2005年にリスボンまでアズレージョと呼ばれるポルトガルタイルを見に旅行したのも、白須氏と同じ理由からだ。このシンプルな色の組み合わせと模様の美しさをこの目で見てみたいと思ったのだ。大航海時代に、この色の組み合わせの陶磁器が世界中に伝播したことにも、白須氏は触れた。陶磁器貿易により、東洋と西洋の交易は盛んになった。

白須氏は、日本でポルトガルタイルを使って作品制作を行う美術家だ。授賞式でザナッティ大使は、日本の美的センスにポルトガルの伝統工芸の技法を取り入れ、制作を続ける白須氏を、日本とポルトガルの絆を体現する人物として称えた。一方で、白須氏は、2国間の架け橋になろうと思って活動していたわけではないが、結果として寄与することになり嬉しい、と話した。

これまでの創作活動は、簡単なものではなかったと白須氏は振り返る。今回の名誉な表彰は、ポルトガル人作家との出会いを抜きにしては語れない。ロンドンで勉強していたときに、白須氏は、バルトロメオ・ドスサントス氏の指導を受ける。彼に声をかけられて、白須氏はポルトガルのシントラで共同で壁画制作を行うことになったのである。

今回の受賞の対象となった作品は、『三庭園、トレシュ・ジャルディンシュ』というオリジナル3部作(ポルトガル・パルメラ駅壁画)だ。庭を主題にさまざまな植物が描かれているが、こうしたモチーフは、人間が主題となることが多い西洋ではあまりなく、日本的だと見られるという。また、制作に使う筆も、欧州では豚毛の硬いものを使うのに対し、白須氏は、書道用の柔らかい筆を使用して、独特の繊細なタッチを出している。

表現方法は違っても、東西で共感しあえる美意識があることを、改めて思い知らされた出来事だった。
    (みかん)

ジョアナ・アブランシェス・ピント賞について(駐日ポルトガル大使館ウェブサイト)
http://www.embaixadadeportugal.jp/ja/

白須 純氏ブログ
http://shirasstudio.blogspot.com/

Galeria RATTON
http://www.galeriaratton.blogspot.com/

受賞対象となった『三庭園』PanelA

受賞対象となった『三庭園』PanelB

受賞対象となった『三庭園』PanelC


(C)Jun Shirasu Galeria RATTON 2007

お節料理に欠かせないのが棒ダラだ。冬から春に北海道沖で水揚げされたマダラを冬の寒風にさらして乾燥させる。無塩で乾燥させるのはアイヌ独自の技法。海から遠い京都でも室町時代から食されており、季節を問わず食卓に上がったようだ。福島県の会津若松の郷土料理にも棒ダラを甘辛く煮込んだ棒ダラ煮がある。料理に手間がかかることもあり、普段の食卓ではあまりお目にかからないが、棒ダラ料理は日本のごちそうのひとつだった。

ヨーロッパにも干したタラの料理を愛する国がある。ポルトガルだ。作家・壇一雄は1971年から1年半、ポルトガルのサンタクルスで過ごすが、少年の日に九州の田舎で食べた干しダラ料理が、ポルトガルでも食されているのに驚く。ジャガイモや人参、キャベツと煮込むという料理法まで同じだった。壇は「これは、ポルトガルから長崎に伝わった、西洋料理のハシリのようなもの」と推測している。

干しダラはポルトガルの国民食と言われるほどで、その料理法もあまたある。中でも、彼が好きだったのが干しダラのコロッケだ。

「ポルトガル人達が、居酒屋で、酒のサカナに一体何を食べているのだろう。第一に挙げなくてはならないのは、『パステージ・ド・バカヤオー(干ダラのコロッケ)』だ」
 壇は著書の中で、その作り方も記している。まず、干しダラを一度ゆでこぼしてから、一晩水につけて戻し、鍋で40分ぐらい煮込む。そして小骨を取りながら身をほぐし、マッシュポテト、卵、タマネギ、パセリを入れ、こね合わせる。塩、胡椒で味付けし、スプーンで団子を作り、油で揚げれば完成。口あたりが柔らかく、口の中でタラの風味が広がってくる。確かにワインによく合う。最近は熱湯をかけるだけで戻せる干しダラも販売されているので、一度お試しあれ。ちなみにポルトガル語で葡萄酒のことを「ダン」というそうだ。(酒バラ)

TV朝日の番組「食彩の王国」でもポルトガルの干しダラ料理を取り上げている。
第294回『ポルトガル海鮮スペシャル』
〜驚きの!ポルトガル 郷愁の海鮮紀行〜

http://www.tv-asahi.co.jp/syokusai/list.html

1999年にポルトガルから中国に返還され、人口の95%は中国人であっても、マカオにはポルトガルの歴史的な文化が残る。かつて、ポルトガル船がマカオを目指した灯台がマカオで一番高い山・ギア山(91メートル)にあって、その山には教会も建てられている。政府関連の建物は欧風建築で、マカオでは欧州と中国両方の祝日が休みなのだからちょっとうらやましい。

聖ポール主天大聖堂のそばには、道教のナーチャ廟があって、かつて戦争から守るために町に張り巡らされていた城壁(ワラや貝殻が埋め込まれている)の一部が残る。至近距離に二つの宗教寺院が存在するのが珍しくもあり、世界遺産に指定されている。ポルトガル人、中国人、日本人によって建てられた聖ポール主天大聖堂にはイエズス会の紋章とザビエル像があった。かつての漁村・コロアネ島にはフランシスコ・ザビエル教会がある。ザビエルはマカオから日本にキリスト教普及のために派遣されてきたのだ。

マカオで一番大きな広場・セナド広場近くには、ポルトガルの本やアート、カードを売っているお店が佇んでいて、ポルトガルのお菓子が食べられる古いカフェがあった。マカオにあるポルトガルとの融合文化に触れると、また違った息づかいの文化を感じた。(くるみ)

Photo: Regiao de Turismo do Centro

Photo: Regiao de Turismo do Centro

「ファド」に巡り合ったのは、東京・四谷のビル地階にあるポルトガル料理店だった。ギターの伴奏で女性歌手が歌い上げる哀愁に満ちた曲に魅了され、そのとき、いつか現地で聞きたいと強く思った。

ファドは、ポルトガルの首都リスボンの下町で生まれ、歌い継がれてきた庶民の心の歌、まさに民族歌謡だ。だが、同じヨーロッパの庶民の歌でも、「帰れ、ソレントへ」「サンタルチア」のように明るい調子のカンツォーネ、「枯れ葉」のようにどこか気取った感じのシャンソン、激しい踊りと音が伴う隣国のフラメンコとは一味違う。

ファドには「運命」という意味があるそうで、大航海時代に海に繰り出した船乗りたちを待ちわびる女たちの情念の歌とも、植民地ブラジルに連れて行かれる黒人奴隷の歌を原型にしているともいわれる。悲しげな調べであるのは、そのためか。

あこがれだった現地でファドを聞いたのは2004年の春、リスボンの港に近い小さな酒場だった。初老の女性、男性2人の歌手が交互に歌ったが、実を言うと、四谷のレストランほどの感動はなかった。

理由の一つは、歌手やギター弾きの技量がそれほどでもなかったこと。それに、狭いステージの周りには、バケーションで訪れた英国人の若い女性たちが陣取り、演奏中も無駄話しを止めなかったことがある。

聞けば、このリスボン旧市街には、数多くのファド・レストラン(Casa de Fado)があるそうな。それだけ愛されてきた証である。ファドがポルトガル人の琴線に触れるものであるとすれば、ファドの旋律で、われわれは彼らの心情を少しだけ理解できるような気もする。(日暮らし)

次郎さんの旅日記
http://www.gulf.or.jp/~houki/essay/fado.html

Fadoの部屋
http://www.h6.dion.ne.jp/~fado/fado.html


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