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バワがオフィスとして使っていた場所は、現在カフェに。コロンボのギャラリーカフェ(内部)

スリランカの建築家ジェフリー・バワ(1919-2003)は、20世紀半ばから後半にかけて南アジアを中心に多くのリゾートホテルの設計を手掛け、「トロピカル・モダニズム」の旗手とも言われる。作品のいくつかを訪れ、現地の植物やフォークロアなタッチをうまく取り入れ、空間を大きく使ったモダンな建物は、初めて訪れた人でも快適に過ごせる印象を受けた。 

欧州の血を引くバワは、英国で法律を勉強し弁護士となるが、欧米各地を旅した後、英国に戻って建築の勉強を始め、30代後半で建築の学位を修める。デンマーク人建築家(ウルリーク・プレスナー)をパートナーとして建築事務所で仕事を始め、生涯に手掛けた作品の数は多い。ホテルのほかに個人邸、学校、そして国会議事堂に至るまで。 

ブルーウォーターホテル

当時の潮流、モダニズムを欧州で学び、スリランカの伝統も取り入れた設計は、「バワ・スタイル」としてその後のアジア建築に影響を与えていく。バワに影響を受けた次世代の建築家たちも英国やデンマークに留学し、母国に戻って教鞭をとっているそうだ。

 

ブルーウォーターホテルから海を臨む

バワを1番身近に感じることができるのは、ルヌガンガと呼ばれる彼の自邸だろう。バワは、ゴム畑だった広大な土地を買い取り、50年かけて理想郷を実現すべく様々な実験を試みた。彼が強くこだわったものの一つは景観だ。目の前からその先まで重なる景色。彼が自邸で最も気に入っていた景色も、シナモン・ヒルと呼ばれる丘から見えるそうした眺望。彼の遺灰は壺に納められ、この丘に安置されている。    (みかん、写真も)

ルヌガンガ。手前は日時計

                       

ルヌガンガ。バワの眠るシナモン・ヒル

                                                                                     

ルヌガンガ。壁はなく庭とその先の湖が見晴らせる

ベントータ・ビーチ・ホテル

  

 

 

 

 

 

 

(参考資料)
Blue Water Hotel
Bentota Beach Hotel
a+u No.489 (2011年6月) 特集:ジェフリー・バワ ― スリランカのエッセンス

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夏も終わり秋の気配が濃厚になりつつあるが、夏にふさわしい小説に出会った(特にスリランカに出かけた私の今夏にとって)。マイケル・オンダーチェの書いた『家族を駆け抜けて』。この作家は、植民地時代にオランダからスリランカに渡ったいわゆる“バーガー”と呼ばれる入植者の家庭に生まれ育ち、イギリスに渡った後にカナダに移住。映画にもなった『イギリス人の患者』でブッカー賞を受賞している。 

この本は半自伝的小説で、カナダに住む主人公が十数年ぶりに1970年代のスリランカを訪れ、親戚や家族と話す中で、家族の物語を紡ぎたしていく1982年の作品。なぜ夏にふさわしいかといえば、文章からスリランカの生活の暑い熱気が伝わってくること。そして、休暇に親戚が集まって始まる家族の秘話。自分が生まれてもいない、もしくは幼かったときの両親や先祖の話が聞けるのは、こんな時だけだ。 

実際どこまで真実の話なのか、読者はわからなくなる。詩の中で描かれる情景も、異国情緒に溢れ趣がある。南アジアに暮らすヨーロッパ出身の家族には、それなりの苦労と驚くような物語があって、それらがユーモラスに語られている。お勧めの1冊。 (みかん、写真も)

主人公の家族が過ごすスリランカの避暑地、ヌワラエリヤの紅茶畑。

スリランカ南端の町、ゴールはその要塞とともに、1988年からユネスコの世界遺産に指定されている。この夏休み、要塞の中の小さな通りを歩きながら、小さくも個性ある古い個人宅の建築に魅了されていた。そして、ふと修復された家々にパネルが貼ってあることに気がついた(写真)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴール遺産財団による街並み保存の取り組みは、スリランカとオランダ政府との文化協力プログラムの下に行われていた。

スリランカは、シナモン、紅茶などの産地で、貿易の要所としてヨーロッパとのつながりが長い。ゴールは、14世紀にアラブ人商人の往来により貿易港として発展、16世紀にポルトガルが支配した際に砦が築かれた。その後、17世紀初頭のオランダ東インド会社の上陸でオランダがポルトガルを追放し、この要塞の中に都市を建設した。オランダの支配は140年続き、英国東インド会社が18世紀末に上陸すると、1948年にセイロン国として独立するまで、英国の植民地となる。

ゴールの要塞の中は子ども達の遊び場でもある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、この要塞内の通りに住むのはイスラム系スリランカ人が多いそうだ。中東との間で宝石商を営む比較的豊かな層だと聞く。オランダが宗主国時代の歴史遺産として修復・保存に協力し、ゴールは今も昔の姿を残す。そして訪れる人は、その歴史の一部を感じ取ることができる。案内してくれた友人は、きれいに観光地化されすぎているとぼやいていたけれど。     
(みかん、写真も)          

オランダ改革派教会内部。同じ通りにある英国の教会とは趣が異なる

              

オランダ改革派教会は2004年に修復作業が完了した

                                                                              

 

修復された個人宅の一つ

 

 

 

 

 

 

(参考資料)
Centre for International Heritage Activities
Sri Lanka Tourism
スリランカの世界遺産


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